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「俺は走れるようになったんだ!」
新潟・早川史哉、白血病との戦い。
posted2018/03/11 09:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
2018年2月21日。アルビレックス新潟の選手達がキャンプで静岡に滞在している頃、新潟駅に降り立った。午前中は晴れていたそうだが、お昼過ぎから一気に雪が降り出し、到着した頃には新潟駅前は吹雪のようになっていた。
1台の車が目の前に止まり、その窓が開いた。ひとりの若者が笑顔で「こんにちは」と迎えてくれた。挨拶をして、車の助手席に乗り込むと、そのまま市内の食事処へと向かうこととなった。
店の個室に案内されると、新潟の新鮮な魚や野菜の皿、名物の米を盛った椀などがずらりと並んだ卓を前に、ゆっくりと話が始まった。
「久しぶりですね。こうやってゆっくり話せる機会ができて嬉しいです」
そこには変わらない笑顔があった。
目の前で、1人の男が「希望」に向かってゆっくりと走り出そうとしていた――。
U-17W杯ではベスト8の原動力に。
アルビレックス新潟所属の早川史哉。
一昨年の4月に急性白血病と診断されたことで人生が激変したサッカー選手だ。
筆者は彼が15歳のときから取材をしているが、アルビレックス新潟U-18の中でも非常に「賢い選手」だった記憶がある。当時からピッチ全体の状況をしっかり捉え、的確な判断ができる選手だった。
どこのポジションでもこなせる器用さも持ち、U-16、U-17日本代表では吉武博文監督(現・FC今治監督)にウィング、サイドハーフ、サイドバックとして多用され長らく活躍した。2011年のメキシコU-17W杯では全5試合に出場して見事に3得点。日本代表ベスト8進出の大きな原動力ともなっていた。
新潟でトップチーム昇格のオファーもあったのだが、彼には「プロサッカー選手にはなりたいけど、将来的には教員になりたい」という考えもあって、あえてトップ昇格を断って筑波大学に進学を決めた。
筑波大では教員免許を獲得し、かつ4年時には蹴球部のチームキャプテンとして、前年に2部落ちしていたチームを一部復帰に導いた。
そして、満を持して2016年に新潟に入団し、プロのキャリアをスタートさせた。CBとして開幕戦の湘南ベルマーレ戦でスタメンフル出場。華々しいプロサッカー人生をスタート……させたはずだった。
そんな時、白血病という病魔が彼に襲いかかったのだ。