“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「俺は走れるようになったんだ!」
新潟・早川史哉、白血病との戦い。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/03/11 09:00
リハビリに励む本人のブログには、「明日も楽しむぞ! レッツトライ!!!」という言葉が。
最初は練習の疲れや能力不足だと思っていた。
「開幕前から少しだけ異変を感じていたんです。朝早くに目が覚めるし、目覚めたら背中は汗がびっしょりで、疲労も残るし……。
開幕してしばらく経つと、練習に出ても最初の方のダッシュでもう足がパンパンになって、最後の紅白戦をプレーするどころの騒ぎではなかった。だけど、プロとしてその場にいる以上、やらないといけない。監督、選手からの要望もあるし、それにできるだけ応えたいのだけど、身体が動いてくれない辛さがあって。
練習後に風呂に入っていて、『よし上がろう』と思って立ったら、目の前が真っ暗になってよろめいて。そこからしばらく動けなくなったり……。
第7節の広島戦のあとも後泊したホテルで強烈な寒気が起こって、全然眠れなかった。『これはまずいかも』と思ったのは、第8節の名古屋戦の後にリンパ節が腫れていて……。それで診察を受けたら急性白血病と診断されたんです」
病気を受け入れ、治療の覚悟を決めるまで。
そこからすぐ、彼は療養に入ることになった。
「正直、症状はあるけど、病名がはっきりしていない時が一番怖かった。『白血病です』と医師から言われたときは、率直に『そうだったのか』と思っただけ。
もちろん少なからずショックはあったけど、『なんだ、だからこんなに辛かったんだ。動けなかったのは俺のせいじゃなかったんだ』と思ったんです。
自分をようやく認めてあげたというか、それまでは『俺、プロなのに一体なにやってんだ』とか、『情けないな』とも思っていた。でも、それは俺のせいじゃなかった、病気のせいだったんだって。自分をようやく認めてあげることができたし、しっかりと治療をして、しっかり治してからもう一度あのピッチに戻ろうと考えました」
病気を受け入れ、全力で治療に取り組むことに決めた。