炎の一筆入魂BACK NUMBER
この人がいなければ優勝は無かった。
河田雄祐が広島に残した大切なもの。
posted2017/10/09 07:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
Kyodo News
初見の人は驚くかもしれない。
声は大きい、言葉はきつい。
そして豪快に笑う。
広島カープの河田雄祐・外野守備走塁コーチの周りには、いつも笑顔があった。人に対して常に真っすぐ。一本筋の通った“昭和”を感じさせた。
連覇を成し遂げた今年、石井琢朗打撃コーチとともに広島を去ることが決まった。
歴代11位の安打数を誇るスター選手だった石井コーチばかり注目されるが、わずか2年で外野守備、そして走塁に革命を起こした河田コーチを失う大きさも、実は、計り知れない。
西武と広島――球界屈指のハイブリッド野球。
河田は1986年に広島に入団。俊足好守の外野手として、赤ヘル野球をたたき込まれた。'96年にトレードで移籍した西武では7年間プレー。その後は西武で指導者となり、リーグ優勝も日本一も経験した。片岡易之(現・治大)に盗塁王を4度取らせ、秋山翔吾をゴールデン・グラブ賞を獲得するまでの名手に育て上げた手腕を持つ。
広島が3年ぶりにクライマックスシリーズ進出を逃した2015年シーズン終了後に、河田は古巣広島に復帰した。
西武と広島。
ともに機動力が伝統的に受け継がれる球団を知る河田だからこそ期待され、そして見事にその手腕を発揮した。
グラウンドでも、グラウンドの外でも全力を尽くす。
シーズン中、相手投手の研究に余念がない。本拠地試合の6時間以上前にスコアラー室にこもる姿が何度も見られた。