炎の一筆入魂BACK NUMBER
この人がいなければ優勝は無かった。
河田雄祐が広島に残した大切なもの。
text by
前原淳Jun Maehara
photograph byKyodo News
posted2017/10/09 07:00
新時代の赤ヘル野球における機動力、外野守備を作り上げた河田コーチ。鈴木の急成長にも、大きな役割を果たした。
人気選手の鈴木誠也にも、しっかりカミナリを落とす。
就任してすぐの'15年秋季キャンプでは、売り出し中の鈴木誠也にカミナリを落とした。
各ポジションに選手がついて行われるシートノックで、後逸した鈴木の動きが河田の目には緩慢に映った。
練習後、河田は鈴木を呼び出し「みんなはお前のためだけに練習しているんじゃない!」と叱責。
外野手だけが集まったノックの練習とは違う。守備隊形を指示する捕手もいて、想定したシチュエーションで鈴木の動きに連動して内野手も動く。野球はチームプレー。鈴木の意識と姿勢を正した。
いつも元気にしていたのは、選手への指導のため。
眼力のある目で選手の顔をじっと見つめ、そして大きな声であいさつ。
グラウンドでも声を張り上げ、選手を鼓舞する――当たり前のことだと思われるかもしれないが、長丁場のペナントレースで、その姿勢が1日たりとも変わることがなかった。たとえ手酷い敗戦のあとでも、球場を去るときには「お疲れ!」と大きな声を出し、そして前を向いていた。
「自分に浮き沈みがあれば、選手の浮き沈みを言えない。(いつも)自分に元気があれば、(指導するにも)いいかなと思っていた」
一本筋が通った男はぶれない。
「選手を大人扱いしなければいけない」
若い選手が多い広島でも「選手を大人扱いしなければいけない」と、常に強く意識していた。
選手のタイプによって、言い方を変えるなど工夫した。「聞いてそうで聞いていないヤツもいれば、聞いてなさそうで聞いているヤツもいる」。就任してから外野として気にかけていた逸材の野間峻祥は前者で、鈴木は後者だったという。