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ゾーンに入ると、乾貴士は微笑む。
伝説の“セクシーフットボール”再び。

posted2017/06/12 14:30

 
ゾーンに入ると、乾貴士は微笑む。伝説の“セクシーフットボール”再び。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

香川真司が欠場するイラク戦では代わりに10番を背負うことになった乾。「華麗かつ結果を出す」プレーができるか?

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by

Asami Enomoto

 6月7日、1-1の同点に終わったキリンチャレンジカップ・日本vs.シリアの一戦。スタジアムを盛り上げ、一瞬にしてこの試合をエンターテインメントに変えた男がいた。

 現在、リーガ・エスパニョーラのエイバルでプレーを続けるMF乾貴士だ。

 58分に原口元気に代わって投入された乾は、絶妙なリズムでボールを自由自在に操っては、左サイドを「乾劇場」へと変えるようなファンタスティックとも言えるプレーを何度も見せた。

 乾貴士=セクシーフットボール。

 今もなお、このイメージを持っている人は多いだろう。

 その由来は、彼が滋賀県の野洲高校でプレーしていた頃にさかのぼる。

 彼が高2の時の第84回全国高校サッカー選手権大会でのこと。野洲は選手全員が高いスキルを持ち合わせ、トリッキーなドリブルとヒールパスを駆使した非常に高度で流動性に富んだサッカーを展開した。1回戦から快進撃を続けると、あれよあれよと言う間に決勝まで駒を進め、一気に全国制覇を成し遂げたのだった。

 彼らのサッカーがあまりにも華麗で、美しさに富んでいたからこその“セクシーフットボール”という呼び名。実はこの野洲に対する“セクシーフットボール”という言葉は、筆者が言い出しっぺでもあった。

 もともとこの“セクシーフットボール”という言葉は、名手ルート・フリットの言葉であった。

 彼がニューカッスルの監督に就任した時に、「美しいサッカースタイル」を約束するという意で、自らのサッカーをこう名付けたのが始まりだ。この時は、そんなプレースタイルは実現しなかったが、言葉だけはインパクトとしてサッカー業界に残っていたのだ。

初めて野洲高校、乾を見て感動した時のこと。

 野洲が全国優勝をする前年の1月のこと。静岡県・御殿場高原でのある大会へ取材しに行った。

 その年の高校選手権に出場できなかったチームが集まる“裏選手権”とも言えるこの大会。そこで目撃した野洲の華麗なパス&ドリブルサッカーにすっかり魅了されてしまい、「これぞセクシーフットボールだ!」と感動したことが、後日、その命名へと至るキッカケだった。

 その年は、野洲を要注目チームと位置付け、可能な限り試合を見に行くことにした。

 日を追うごとに完成度が高まっていくチームを目の当たりにして、より“セクシー”になっていく彼らの注目度をなんとか上げようとして、雑誌などでチームの紹介記事を書く度に“セクシーフットボール”という言葉を使いまくった。ただ当時は、このチームが第84回高校選手権を制して、この称号がここまで広がるとは思ってみなかったが……。

 その中心にいたのが、当時高2の乾貴士だったのである。

【次ページ】 乾が試合中に微笑むのは「ゾーン」に入った証拠。

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