フランス・フットボール通信BACK NUMBER
世界で最もセレブな街のサッカー事情。
ASモナコの躍進と、その国民の悲願。
text by
オリビエ・ボサールOlivier Bossard
photograph byFrederic Mons
posted2017/05/15 08:00
ASモナコのグラウンドで練習に励む若い選手たち。ここからモナコのスター選手が生まれる。
アルベール2世が、そもそもサッカーをやっていた。
アルベール2世の庇護のもと、協会は地道に活動を続けている。
フィソルは述べる。
「当初は彼もボールを蹴りに来ていた。今でも試合の結果はすべて知っているし、執務室にはモナコ代表のユニフォームが飾られている。FIFAに加盟したいけど、ASMがリーグ1に所属している現状では無理。モナコが独自のリーグを持つようにならなければ」
そのための組織として期待されるのが41年前に設立された組織「チャレンジ・レーニエ3世」である。現会長のクリスチャン・ミケリスは、地元財界の大立者のひとりである。
「サッカーに関わりたいモナコのすべての企業を『チャレンジ~』が統括している。大勢がわれわれの主催する大会に参加している」とミケリスは語る。
キックオフ前にモナコ国歌が流れ、いくつかの試合ではいかにもセレブ然とした女性たちが集まってくる。
「企業は自分たちのレベルに合わせた選手を獲得するのだが、BMWのチームなどはフレデリック・デウとガエル・ジベ(ともに元フランス代表)、グレッグ・カンピを出場させた。ちょっとやりすぎだろう」とティエリ・プティはいう。
小さなリーグとはいえ、決勝戦には大公が出席する。
'06年から2シーズンをASMで過ごした元チェコ代表のセンターフォワード、ヤン・コラーもいまだ旧市街に住んでいる。昨シーズンまではASMの三軍でプレーし、今季から活動の場を「チャレンジ・レーニエ3世」に移したのだった。
「41歳になって、三軍でもプレーするのがちょっときつくなった。だから『カラビニエ・ド・プランス』にチームを変えた。ゴールキーパーが友だちで、外国人枠もちゃんとあるからと誘われたんだ。今は中盤に下がって、何のストレスも感じないから、とても気持ちよくプレーしているよ」
対戦相手はモナコ病院チームや公的基金機構チームなどなど。ティエリはいう。
「どこも本当に真剣にやっている。『フランスカップ』と同じ形式の『プリンス・アルベール2世杯』もあって、決勝では大公が臨席して勝者にカップを授与している。どれだけ本気かよくわかるだろう」
黄昏のなか、モネゲッティの小さなスタジアムでは、若者たちが試合を始めた。十数人の観衆がそれを見守っている。少し離れたところでは、サングラスをかけたセレブがベントレーのエンジンを始動させた。だが誰も関心を払わない。
モナコの日常は、そんな風に続いていく。