サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
宇佐美貴史の芯には、謙虚さがある。
18歳で語っていた「天才と万能」。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byTakuya Sugiyama
posted2015/04/03 11:30
柴崎らと共にチュニジア戦、ウズベキスタン戦と活躍したプラチナ世代の宇佐美。ロシアW杯へ向け、世代交代なるか?
「自分がどんなタイプなのか決めたくない」
「自分がどんなタイプのプレーヤーか決めたくないと思うんです。ドリブラーでもないし、サイドからカットインするタイプでもない。トップ下でもなければセカンドストライカーでもない。攻撃のところでの役割はすべて出来るようになりたい」
この点は、ドイツに行ったらマイナスに作用するのではないか――そう思った。その頃取材した風間八宏氏(現川崎フロンターレ監督)から「ドイツの地では、自分がピッチで何を出来る選手なのかをハッキリ示すことが求められる」と聞いていたからだ。各々が専門性にプライドを持つ社会だと。
氏はこんなことも言っていた。
「例えば一般のサッカーファンがドイツ代表選手と会話する機会があっても、対等に話している。なぜなら自分が、経理や経営といった分野でのスペシャリストだと思っているから。“キミはサッカーに能力があったんだね”“僕は別のことに能力がある”と考えている」
つまり「万能型」は通じるのだろうかという疑問だ。筆者自身、以前暮らしていたドイツでの日常生活から考えても、この感覚の違いを周囲にハッキリ伝えることは容易ではないと感じた。
宇佐美はドイツに渡る前、一度だけ日本代表に呼ばれた。この時のこともよく憶えている。
アルベルト・ザッケローニが監督だった2011年6月の国内での親善試合だ。しかしこの時は出場機会はなし。試合後の取材エリアでは、どの記者も彼を引き止めなかった。近い時期に取材をしていたこともあり、こちらとさっと目が合うと、歩み寄ってきてくれた。そしてひと言、こう口にした。
「悔しいです。次は絶対出たい」
初の代表招集からデビューまで、4年かかった。
その時からフル代表デビューまで、4年かかった。
ドイツで過ごした2011-'12、'12-'13の2シーズンの結果が芳しくなかった点も大きな要因だろう。
「ドイツに渡る時も、常に日本代表に選ばれたいという思いを持ってプレーしてきた」
さる31日のチュニジア戦の後には、こんな思いまで口にしていた。
いっぽう、今回の代表帯同期間中、試合の中日だった29日の練習後(西が丘)には直近の代表ゲームとは少し離れた話を聞く余裕があった。ドイツ時代やガンバ大阪でのことだ。