パリで5つのメダルを獲得した日本の新たなお家芸。快挙達成の背景にあった、長年にわたる協会の強化策と外国人コーチがもたらしたセオリー打破の指導術を、選手、監督、アドバイザーの3人が詳らかにする。(原題:[メダルラッシュの真実]フェンシング日本代表「常識を覆した20年の軌跡」)
何だこれ、どうなってるんだ――。
五輪出場はパリで3度目。さまざまな経験を重ねてきたが、大歓声を超えた地鳴りのような空気の揺れをフェンシング会場で体感するのは初めてだった。
試合会場となったグラン・パレに入っただけで鳥肌が立った。男子エペ代表の見延和靖がパリでの記憶を振り返る。
「団体決勝の相手はハンガリー。でも会場はフランス国歌の大合唱。今までいろんな場所で試合をしてきましたが、あれだけの空気感、雰囲気は初めてでした」
個人戦も団体戦も、すべての試合が超満員。加納虹輝が金メダルを獲得した男子エペ個人戦はフランスの英雄、ヤニック・ボレルが対戦相手だったこともあり、歓声とブーイングが鳴りやむことはなかったが、フランスを相手に戦うわけではない団体決勝も同じだった。熱狂する大観衆の中で、ベンチからいくら叫んでも、ピストに立つ選手まで声が届かない。
未体験の世界では、高揚感だけでなく、不安や焦りも生じる。見延は、劣勢の場面で一瞬、不安気な表情でベンチを見た加納にジェスチャーとアイコンタクトで伝えた。
「どう流れをつくって、獲るべきところで点が獲れるか。チームとして共通認識を持っているので、無理してほしいところ、無理せず我慢して守ってほしいところを理解しているんです。だから、1つのジェスチャーで虹輝も『わかった』と安心した顔で向かって行った。言葉で伝え合わなくても理解し合える“阿吽の呼吸”といいますか。男子エペだけでなく、日本チーム全体にその強さがあるのを感じていました」
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photograph by Kaoru Watanabe / JMPA