「あの時期は、大変でしたね。個人としても自国開催のオリンピックの代表になれなかったですし、オリンピック選手には一生なれないんじゃないか、という精神的な辛さもありました。所属先も無くなってしまって、さらにコロナ禍でアスリートへの風当たりがとても強かったので……」
東京五輪が開催された2021年。日本代表の座を逃した宮脇花綸は岐路に立たされていた。世間のアスリート全体に対する批判を目にすることも多くなる中、所属先との契約が終わった。そして「パリ五輪までもう3年フェンシングを続けようと決意」したが、試行錯誤の日々。伝手を辿って就職活動をしながら、クイズ番組に自ら売り込みをかけて出場したりもした(見事に全問正解で賞金300万円を獲得!)。
その時に思い浮かんだのが、東京五輪の代表になった仲間の顔だ。
「あの大変な状況で開催される(東京五輪の)代表になった選手たち、彼女たちがいたからこそ私も強くなれました。そして全員で女子フルーレという種目を支えてきましたから」
この言葉を端緒に、苦しかった当時を自分の言葉で振り返ってくれた。
高校3年生でNumber「ヒロインを探せ!」で表紙に
実は、宮脇は高校時代の2015年にはNumber872号「ヒロインを探せ!」で表紙を飾っている。
「今でも『昔、Numberの表紙だったよね』と言われることがあります。当時は、私なんかでいいのか、という戸惑いもあったのですが、いい経験をさせてもらえたなと思っています。あとミステリーが好きだとお話をしたら、編集者から本を差し入れていただいたのも記憶に残っていますね」
そのほかインタビューでは以下のようなことを聞いている。
- 日本選手権では対戦相手に!「団体戦の仲間たち」との勝負での相性は?
- フェンシングの戦術・対策はどう行うのか?
- パリ五輪で最も印象に残っている「得意技」でのポイント
- 読書家でミステリー愛好家の宮脇選手が好きな作家は?
- クイズ番組に自ら売り込みを掛けた理由
- JOC「アスナビ」経由で三菱電機に入社。面接での「アピール」ポイントは?
- 太田雄貴さんの「行動力」と10年前の合宿
- 子どもたちにフェンシングをおすすめする「3つの理由」
インタビューを通じてその「語り口」からは、宮脇選手の思考の明晰さ、アスリートとしての言語化能力の高さが伝わってきた。4年後のロス五輪も目指すーー。そう断言する27歳の今後にますます注目だ。
※ポッドキャストをお聴きいただけるのはNumberPREMIER会員限定で、このページ下部でご視聴いただけます。
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