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「結婚もせず、子供も産まず…」観客席の少女・伊藤雅奈子を『極悪女王』が救っていた【柳澤健が2024年に描く「3人目のクラッシュ・ギャルズ」】

2024/11/25
'80年代中盤、ライオネス飛鳥に没頭した少女は、やがて親衛隊に入り、その後公認ファンクラブまで設立してしまう。大人になってもプロレスへの情熱を持ち続け、紆余曲折を経てプロレス記者になり、ドラマ『極悪女王』にも関わるように。ノンフィクション本『1985年のクラッシュ・ギャルズ』内で「3人目のクラッシュ」と称されたライター・伊藤雅奈子氏の半生を『1985年の~』の著者が再び追った。(原題:[2024年の元親衛隊]観客席の少女 それから)

 結局のところ、私がやってきたのは“推し活”なんですよね。いまで言うところの。

 初めて親衛隊を見たのは小学4年生の時のこと。神戸国際会館で見た石野真子コンサートが、私の人生を決めてしまいました。

 ステージにはキラキラのアイドル。私と母の左後ろには緑のハッピを着た親衛隊。アイドルと親衛隊のふたつを同時に見た9歳の私は「自分も親衛隊に入りたい!」と強く思いました。親衛隊員は当然男ばっかりだったんですけど。

 翌年には真子ちゃんのライブアルバムが出たので、すぐに買ってもらいました。LPレコードを何度も繰り返し聴いて、すべての曲の歌詞を、親衛隊のコールと一緒に覚えました。推し活の原点です(笑)。いまだに真子ちゃんを見ると目がハートになります。

 中学に入ると、クラスの話題はおニャン子クラブやチェッカーズ。1980年代の流行は、テレビの中のアイドルが作っていました。

 私には、女優をしていた祖母譲りの美人の姉がいて、母はお姉ちゃんをはっきりと贔屓していました。おもしろくない私は、ライトな不良少女になりました。

 ハンサムなボーイフレンドができたのは中2の時。ところがまもなくライバル出現。「私も彼が好きやねん」と堂々と言い放つ彼女に腹が立ち、不良仲間に相談すると呼び出してくれて胸がスッとしましたが、たちまち学校にバレて大騒ぎに。母親に思いっきり引っぱたかれました。

 女子プロレスを初めてテレビで見たのは鬱屈していた中2の終わり頃。3月だったと思います。深夜遅い時間帯に起きてテレビをつけると、女の子が襲われて流血していました。白い空手着に赤い血がポタポタと落ちるのを見て衝撃を受けました。

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photograph by Takeshi Yamauchi

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