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「二度見、三度見したほど驚いた」"最善"を重ねるジョッキー武豊の真髄とは?<石橋守と千田輝彦がディープ、ウォッカらの騎乗を語る>

2024/10/24
今年で凱旋門賞11度目の挑戦。高く険しい壁にも常に最善を尽くして挑み続ける
誰よりも乗り、誰よりも勝ち続ける。数多ある快勝劇の中からベストをあげようにも、見方次第で文字通り、枚挙に暇がない。では、超絶技巧を間近で見てきた仲間たちはどのレースを選ぶのか? 公私で親交の深い元騎手・現調教師の二人が明かしてくれた。(原題:[盟友が語る]最善を重ねる武豊の真髄)

 10月23日に58歳になる石橋守調教師は、武豊騎手より2学年年長。お父さんが栗東トレセンで厩務員をされていた関係で、栗東トレセンの武田作十郎厩舎に住んでいた武邦彦一家と、近所付き合いのような自然な形で金勝小学校時代から交流があった。取っかかりは豊の兄と守が同級生という縁だったが、騎手を目指すほど競馬が大好きだったのは守と豊。当時の競馬中継はメーンレースの前後を実況で伝えてくれる地上波しかなかったが、その時間はどちらかの家のテレビに二人がかじりつくように見ていたという。

 JRAが競馬学校に騎手課程を創設したタイミングで石橋は1期生として入学し、武は2年遅れての3期生になった。二人の関係はほぼ半世紀にも近い。側から見ていても絶妙な距離を保ったうえでの親しい関係が伝わってくる。野暮を承知でそのわけを聞くと「ウマが合うというよりも、豊はあのころと何も変わっていなくて、僕も豊との付き合い方を変えずに済んでいる。お互い変わらないのがいいのかな」と、即答してくれた。

 石橋は米国の騎乗スタイルの研究家としての側面も持っており、1984年から始まったブリーダーズカップのビデオを第1回の分から収集している。若き日の武と「カッコいいね!」と目を輝かせながら見入っていたシーンも容易に想像できるし、武が最初に目指した海外が米国西海岸だったこととも見事につながっている。

ディープインパクトのやる気を失わせず運んだ絶妙な騎乗。

 石橋の騎手としての代表作は、言うまでもなくメイショウサムソン('03年生まれ、牡、父オペラハウス)だ。'06年の皐月賞、ダービーの2冠を獲り、'07年の天皇賞・春も石橋の手綱で勝った。しかし、そのあとの宝塚記念で2着に敗れたところで、武豊への乗り替わりとなっている。

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photograph by Photostud

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