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《ライスシャワー》「そう、何もしなかった」的場均が語る“ふたり”だからできた合図なし離れ業とは?【神騎乗列伝:1995年天皇賞・春】

2024/10/28
状態はピーク時と比べてほど遠かった。現に2年も勝ち星から見放されている。道中、レースプランすら定められずにいた鞍上は、心のなかで相棒に問いかけた。「で、どうする?」。すると――。(原題:[人馬を超えた絆]1995年 天皇賞・春 ライスシャワー&的場均「ふたりのロングスパート」)

 1995年4月23日、ライスシャワーにとって2度めの春の天皇賞だった。

 最初は2年前で、3連覇を狙うメジロマックイーンを破った。ライスシャワーに乗る的場均はメジロマックイーンのファンだった。'90年の夏、的場は函館競馬場ではじめてメジロマックイーンを見た。まだ1勝馬だったが、ひと目で「すごい馬だな」と思った的場は、メジロマックイーンに乗っていた内田浩一と担当厩務員に声をかけ、馬を見せてもらった。

 見れば見るほど「すごい馬だ」と思った。秋になって菊花賞に勝ったメジロマックイーンは翌年春の天皇賞も連覇して、現役最強ステイヤーとして君臨していた。その馬とライスシャワーが3200mの天皇賞で戦うのは最初で最後だと思っていた的場は、がっぷり四つに組んだ横綱相撲で勝ちたい、と思っていた。

「究極の仕上げ」でメジロマックイーンをねじ伏せた。

「あのときは、どうしても勝ちたいという気持ちが強すぎて、調教も厳しくなった。本人はかなりきつかったと思うけど、よく耐えてくれてね。追い切りのあと、馬房にいたライスシャワーの目が殺気立っているんです。いつもはおとなしい馬が猛獣のようで、顔はサラブレッドでなかったもの。いやあ、すごいなあ、馬ってこんなになるんだ、と思いましたね。そういうふうに感じたのはライスシャワーだけです」

 レースでもライスシャワーは気迫に満ちていた。メジロマックイーンを力でねじ伏せるようにしてゴールインした姿はまさしく「横綱相撲」だった。的場は言う。

「あのときは最後、『頑張ってくれよ』って言ったら、ハミを噛みしめてね。やっぱり、こいつはすげえなあと思った。能力どうのこうのでなくて、気力がすごいんです」

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photograph by Shigeyuki Nakao

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