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「今日は泥掃除でも手伝うべ」2019年の日本列島に“ラグビー”がもたらした幸福「楕円はある意味で人生の形」《近藤篤のフォトエッセイ》
「なんでラグビーはこんな試合でも手を抜かないでやるの?」
熊谷ラグビー場で行われたアルゼンチン対アメリカの試合後、駅へ向かうプレスバスで乗り合わせた大ちゃんにそう尋ねた。大ちゃんというのは、スポーツライターの藤島大さんのことで、今更説明することもないけれど、ラグビーについて書かせたら(あるいはラグビーでないことでも)この人の右に出るものはいない。
こんな試合、と言う表現はいささか失礼だが、予選プールでの敗退がすでに決まった国同士、つまり完全な消化試合にもかかわらず、この日の両チームは100%ガチンコでぶつかっていた。
「うーん、気を抜いてプレーしていると死んじゃうから、かな」
大ちゃんは微笑んで、ものすごくわかりやすい回答をくれた。
たとえスタンドからは平和に見えても、頑強な男同士が本気でぶつかりあうラグビーフィールドの芝生の上には、いつもどこかにひっそりと死神が身を潜め、気を抜いたものに襲いかかろうとしている。
だからなのだろうか。無事試合が終わると、選手たちがスタンドの中に家族の姿を探し、安堵の笑顔を浮かべて我が子を抱きあげ、妻や恋人と口づけを交わしたりするのは。
君が代を大声で歌いながら、ポロポロと大粒の涙を
今からほぼ四半世紀前のことになる。僕はアルゼンチンに住んでいた。
カメラマンを始めておよそ6年が経っていたが、写真の腕は一向に上がらなかった。しかし幸運なことに当時の南米には日本人のカメラマン自体ほとんどいなかったから、僕のようなカメラマンにも時々仕事の依頼が舞い込んだ。ブラジルに行ってカズを撮り、チリに行ってアタカマ砂漠やアルパカを撮り、ペルーでアルベルト・フジモリを追いかけ、なんとか食いつないでいた。
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