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「千種との髪切りマッチに大きな不満がある」ダンプ松本の凶器と狂気、そして“ヒール”の流儀「金が稼げれば何番でもよかった」【インタビュー】
2024/11/21
昭和の終盤、日本で最も罵詈雑言を浴びたであろう女子プロレス界のレジェンド。憎まれるために、人知れぬ努力を欠かさなかった彼女が今だから明かす悪の哲学とは。'85年、大阪城ホールで行われた伝説の敗者髪切りデスマッチへの思いも披瀝する。(原題:[凶器と狂気のハイブリッド]ダンプ松本「これがヒールの流儀だ」)
ダンプ松本がビューティ・ペアのジャッキー佐藤への憧れから全日本女子プロレスの門を叩いたのは有名な話だが、無理やりヒールにされたわけではなかった。
「入門したら、ビューティ・ペアもそうだし、トミー青山さん、ルーシー加山さんにしろ、スラッとしてカッコよくなかったら人気者になれないっていうのがわかった。自分には無理だけど、ヒールになれば実力で上に行けるんじゃないかと思って、最初からヒールになろうと思っていたよ」
全女としてはコロコロとした体形で'70年代に人気を博したジャンボ宮本のようなベビーフェース路線を考えていたようだが、本人が強く希望してヒールを選択したのである。ダンプはただの夢見る少女ではなく自分を客観視していたのだ。
「デビル軍団で学んだこと? 何もなかった」
そして'82年末にデビル雅美率いるデビル軍団に加入。ダンプがデビル軍団に所属していたのは1年2カ月ほど。
'84年2月28日、相模原市総合体育館でデビルと組んで長与千種&ライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズと対戦したダンプはデビルの制止を無視して凶器を使いまくって最後は仲間割れ。子分をコントロールできなかったデビルは軍団解散を宣言した。
「解散はデビルさんが勝手に言ったこと。自分らの立場では“えっ、何でですか?”と聞くこともできないから、従うしかないよね。ユウさん(マスクド・ユウ)と2人で“自分たちだけでやれるね、ラッキー!”って。嬉しいって感じだったね。デビル軍団で学んだこと? 何もなかった」
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photograph by Takuya Sugiyama / Essei Hara