2010年ドラフト2位の大卒ルーキーは、入団発表の席でトリプルスリー達成を宣言した。体が細く、非力だった少年はいかにして“怪物”となり、2015年、壮大な目標を現実のものにしたのか。2024年1~7月にNumberPREMIERで公開された記事の中で、人気の高かった記事を再公開します。今回はプロ野球・柳田悠岐選手の記事です。《初公開:2024年3月9日/肩書などはすべて当時》
プロ野球選手もはじめは野球少年だった。イチローが田尾安志にあこがれ、松井秀喜は掛布雅之を目指したように、のちの大スターにも心のヒーローが必ずいた。少年期の柳田悠岐の瞳に最も輝いて映ったのは、地元カープの野村謙二郎だった。
それは紛れもない一目惚れだった。
「いつかは覚えてないけど、広島市民球場に応援に行った試合で野村さんの先頭打者ホームランを見たんです。それからッスね。あの弾道は鮮明に覚えてます。右中間にバーンって打ったんです」
野村は'95年に打率.315、32本塁打、30盗塁の成績でトリプルスリーを達成していた。「あんなカッコいい選手になりたい」。柳田が目指す選手像は最初から出来上がっていた。プロでは外野手で6度のゴールデン・グラブ賞に輝いているが、小学生ではずっとショートを守っていた。グラブは野村モデル。また、もともと右で打っていたが、6年生になるときに指導者の勧めで左打者に転向した。
野村謙二郎と金本知憲。カープの2人があこがれと目標に。
ただ、当時はこの男が未来の球界を代表する怪物選手になるとは、本人も含め誰も予想していなかった。名のごとく「柳」のように細く頼りない体。中学時代も主な打順は9番だった。高校生になると3年間で身長が約20cmも伸び、地元強豪の広島商高で3番を打つまでになったが、体型は相変わらずガリガリのままだった。
高校3年生の夏、県大会4強で敗退すると柳田は考えた。練習は厳しく、バットを振り込む量や走り込みは相当やったが、ウエイトトレーニングをしたことがなかった。
特製トートバッグ付き!
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
photograph by Nanae Suzuki