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「もう一生クラッシュ・ギャルズなんだな」長与千種とライオネス飛鳥が語り合う『極悪女王』と“全女イズム”「よく死ななかったなぁって」【スペシャル対談】
全日本女子プロレス興業(以下、全女)で1983年に長与千種(以下、長与)とライオネス飛鳥(以下、飛鳥)によって結成された「クラッシュ・ギャルズ」。'89年の1度目の解散、両者の引退のあと長与は自身の団体GAEA JAPANを設立、飛鳥はフリーのプロレスラーとして各団体のマットに立ち、ヒール転向後に2度の女子プロレス大賞(東京スポーツが制定)に輝いた。結成40年を超えたいま、2人が運命の交差について語り尽くす――。
飛鳥 全女のとき、一緒に中国にロケに行ったの、覚えてる?('89年春)
長与 行ったね。南京でしょ。
飛鳥 (中国残留孤児2世レスラーの)天田麗文の実家にカレーを届けにいくっていう企画で(笑)。あのときに、「引退しようと思ってる」って打ち明けてくれたんだよね。うちらはビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)が引退をかけた直接対決で解散('79年2月27日、日本武道館)したのを知ってるから、「そういうことだけは絶対にやめようね」って約束してて、全女とフジテレビにかけ合って、「一緒に引退させてほしい」って頼んだ。最初は難色を示されたけど、最終的にはOKをもらえたのに、「東京スポーツ」に千種の引退をスッパ抜かれてしまった。
長与 そうだったね。
飛鳥 結局、千種は横浜アリーナで('89年5月6日)、私は3カ月後に後楽園ホールで辞めたんだけど(8月24日)。もしあのとき一緒に引退してたら、いまはないんだろうなって思う。千種が復帰した翌年に自分が復帰して('94年)、ヒールターンすることもなかったんだろうなって思うと、物事にはすべて意味があるんだなって。
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