#1109
巻頭特集

記事を
ブックマークする

「もう一生クラッシュ・ギャルズなんだな」長与千種とライオネス飛鳥が語り合う『極悪女王』と“全女イズム”「よく死ななかったなぁって」【スペシャル対談】

2024/11/21
ライオネス飛鳥(上)と長与千種が「結成40年」のクラッシュ・ギャルズを語り尽くす
Netflixシリーズ『極悪女王』で令和のいま再びクローズアップされる2人のスーパースター。しかし彼女たちの物語は作品最終話で描かれた1988年以降もドラマチックだった。かつての盟友が対立し、その後再結成へ。クラッシュとは破壊と再生のストーリーなのだ。(原題:[スペシャル対談]長与千種×ライオネス飛鳥「クラッシュは命がけ」)

 全日本女子プロレス興業(以下、全女)で1983年に長与千種(以下、長与)とライオネス飛鳥(以下、飛鳥)によって結成された「クラッシュ・ギャルズ」。'89年の1度目の解散、両者の引退のあと長与は自身の団体GAEA JAPANを設立、飛鳥はフリーのプロレスラーとして各団体のマットに立ち、ヒール転向後に2度の女子プロレス大賞(東京スポーツが制定)に輝いた。結成40年を超えたいま、2人が運命の交差について語り尽くす――。

飛鳥 全女のとき、一緒に中国にロケに行ったの、覚えてる?('89年春)

長与 行ったね。南京でしょ。

飛鳥 (中国残留孤児2世レスラーの)天田麗文の実家にカレーを届けにいくっていう企画で(笑)。あのときに、「引退しようと思ってる」って打ち明けてくれたんだよね。うちらはビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)が引退をかけた直接対決で解散('79年2月27日、日本武道館)したのを知ってるから、「そういうことだけは絶対にやめようね」って約束してて、全女とフジテレビにかけ合って、「一緒に引退させてほしい」って頼んだ。最初は難色を示されたけど、最終的にはOKをもらえたのに、「東京スポーツ」に千種の引退をスッパ抜かれてしまった。

長与 そうだったね。

飛鳥 結局、千種は横浜アリーナで('89年5月6日)、私は3カ月後に後楽園ホールで辞めたんだけど(8月24日)。もしあのとき一緒に引退してたら、いまはないんだろうなって思う。千種が復帰した翌年に自分が復帰して('94年)、ヒールターンすることもなかったんだろうなって思うと、物事にはすべて意味があるんだなって。

全ての写真を見る -5枚-
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Takuya Sugiyama

0

0

0

次記事