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「スポーツ報道は志望しませんでした」フィギュアスケーター・横井ゆは菜、引退後なぜ「メ~テレ」でTV局員に?「鼻水のような下品な話でも…」

 フィギュアスケーターからテレビ局員へ。'22-'23シーズンで引退した横井ゆは菜(24)が、新たな立場からフィギュアスケートの魅力を伝えることに挑戦している。今年10月には、自身が企画・出演した番組『フィギュアの謎100Q~ニューヨークVS元日本代表~』が放送され、話題を呼んだ。現役時代はエンターテイナーとして人気のあった横井が、会社員の道を選んだのはなぜか。

「大学3年で将来のことを考えた時に、アイスショーや国際大会など様々な経験をさせていただいたからこそ、スケート以外の世界に触れることがこの先の人生のプラスになるかなと思い、就職活動を考えました」

 昨年4月に、地元愛知県のメ~テレ(名古屋テレビ放送)に入社。イベントコンテンツ部に配属された。

「あえて『初めてのことのほうが新鮮で面白いだろう』と思い、スポーツ報道は志望しませんでした。メインの仕事はイベントのチケット管理です。入社後しばらくはやれることが少なくて『私はここにいて良いのかな』と思う日々でした」

 社会人1年目として奮闘する毎日。スケートへの熱い思いが蘇ったのは、むしろ部署や先輩に恵まれ、生活が安定していたからこそだった。

「社会人としての生活は、激しい感情の起伏はない安定した日々です。でも選手の頃は、悔しくなったり、技ができなくて泣いたりしていた。あんな感情の高ぶりが、今思えば青春だったな、と。だからこそ『私はスケートが好きなんだ』と改めて気づいてしまったのです」

 仕事に慣れるほど、スケートへの気持ちが高まっていった昨年11月、社内から自由に企画を出すことができる提案制度が発表された。

「半分ノリで『出演者:横井ゆは菜』と書いて『私がフィギュアスケートの魅力を伝えるから、みなさん見てください!』という感じで、プレゼンをしました」

 その熱意が力となり、今年4月、社内の最終審査を通過した。

「私自身には番組を作るノウハウがないので、先輩方が協力してくださり、外部の制作会社も入って、企画会議を繰り返しながら番組が出来ていきました」

 フィギュアスケートをバラエティ仕立てで伝えていくという新たな試み。自身の熱意もしっかりと伝えた。

「より多くの人に伝えるには、広く浅くという番組になる。でも魅力を深掘りしたい気持ちもある。結果的に、クイズ形式という構成で楽しい番組にしていくことになりました」

 クイズの問題作りも、その一つ一つに加わった。

「会議でクイズを作っていくなかで、総合演出の方のアイデアは凄いなと思いました。『メ~テレにしかできない個性を出すために、横井クイズ入れちゃおう』ということで、『私が好きな寿司ネタ』などの質問を入れたのです。スケートの話題だけだと間延びしてしまうけれど、視聴者が『そんなこと興味ない!』と笑えることで緩急がつく、と。プロの視点でした」

 いざ迎えた収録。お笑い芸人のニューヨークと、スケートの衣装姿の横井が、軽快なトークで掛け合う。『フィギュアスケーターは目が回るか』『演技中に鼻水が出たらどうする?』などのウンチクで盛り上がった。

「もともと人と話す時には盛り上げたいタイプ。鼻水のような下品な話でもニューヨークさんが突っ込んでくれて、スケートファンではなくても楽しめる番組に仕上がりました」

 放送への反響は大きかった。

「番組を見た方から『フィギュアスケートのハードルが下がったよ』と言われて、嬉しかったです。スケートの上品さや美しさも大切にしつつ、初めて競技を見る方にはラフな気持ちで楽しんでもらえたら良いなと思います」

 テレビ局員という立場での活動に、新たな手応えを感じている。

「私は、競技者としてはトップレベルまでは行けなかったので、個人の発信力としては弱い。だからこそ会社員として、一人ではできなくても会社の力を借りて、スケートの魅力を発信していけたら」

 入社2年目となり、社会人としての責任も感じるようになった。

「好きなことだけやるのは、会社員としては違うということも自覚しています。今、イベントコンテンツ部でメインの担当になる案件が初めて出来て、部長からも『この案件で横井さんが成長できれば』と温かい言葉をいただいています。今は何より、このイベントを成功させることを頑張ります」

 社会人として、そして元フィギュアスケーターとして。情熱を注ぐ舞台を、自ら創り出していく。

(原題:[FIGURE SKATING]横井ゆは菜 引退後はテレビ局員へ。銀盤の魅力を伝えるために)

横井ゆは菜Yuhana Yokoi

2000年5月19日生、愛知県出身。'18年、全日本ジュニア選手権優勝。'21年からシニアへ転向し、'22年には四大陸選手権で7位入賞。'23年、大学卒業とともに競技を引退し、同年4月メ~テレ入社。

photograph by Kiichi Matsumoto

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