'80年代、少女たちを熱狂させた全日本女子プロレス、通称「全女」。その全盛期を駆け抜けた同期3人が、血と汗と涙にまみれた日々を振り返る。(Number1006号掲載)
――みなさんは全女(全日本女子プロレス)の「花の55年組」と呼ばれた昭和55年入団の同期生で、今年がデビュー40周年にあたります。今日は同窓会ということで集まっていただきました。
大森 もともと「55年組」は、12人もいたんだよね。
飛鳥 正規のオーディションに受かったのは自分も含めて4人で、2次オーディション組がダンプ。それと、(長与)千種と大森が推薦。
ダンプ 2人は裏口入学だから(笑)。トンちゃん(飛鳥)は同期のなかでも、先を行ってた。なっちゃん(大森)もひいきされてたから巡業に連れて行ってもらってたけど、自分と千種は落ちこぼれ。みんなが旅に行ってるのに、置いてきぼり。
飛鳥 でも、巡業で新人2人なんだから、大変だよ!
大森 下働きだったよね。何から何まで。
飛鳥 「エリート」って言われてたけど、自由な時間は一切ない。選抜されたほうも大変なんだよって、当時は思ってた。
ダンプ その間うちらは、先輩たちがいないからって練習もしないで、千種とディスコに行ってたの。
飛鳥 今だから言えるけど、ダンプとは新人時代、一緒に住んでたんだよね。碑文谷の6畳一間、共同トイレ、共同洗面所。
大森 寮は1年で出されちゃう。私は、4畳一間だったな。
飛鳥 窓は2面あるんだけど、カーテンを買えなかったから、それぞれの少ない洋服をかけてカーテン代わりにしてた。
ダンプ 「次はお風呂付きのところに行きたいね」って話してて、それでも2人のお金だと足りないから、後輩の(立野)記代と3人でマンションに移った。
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photograph by Nanae Suzuki