#1006
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<花の55年組同窓会> 全女黄金時代のクレイジーな青春。 ライオネス飛鳥/ダンプ松本/大森ゆかり

2020/07/13
東京・目黒の全女の事務所ビル跡地に集まった3人。道場もビル内にあった。'05年の全女解散後に取り壊され、現在は駐車場となっている。
'80年代、少女たちを熱狂させた全日本女子プロレス、通称「全女」。その全盛期を駆け抜けた同期3人が、血と汗と涙にまみれた日々を振り返る。(Number1006号掲載)

――みなさんは全女(全日本女子プロレス)の「花の55年組」と呼ばれた昭和55年入団の同期生で、今年がデビュー40周年にあたります。今日は同窓会ということで集まっていただきました。

大森 もともと「55年組」は、12人もいたんだよね。

飛鳥 正規のオーディションに受かったのは自分も含めて4人で、2次オーディション組がダンプ。それと、(長与)千種と大森が推薦。

ダンプ 2人は裏口入学だから(笑)。トンちゃん(飛鳥)は同期のなかでも、先を行ってた。なっちゃん(大森)もひいきされてたから巡業に連れて行ってもらってたけど、自分と千種は落ちこぼれ。みんなが旅に行ってるのに、置いてきぼり。

飛鳥 でも、巡業で新人2人なんだから、大変だよ!

大森 下働きだったよね。何から何まで。

飛鳥 「エリート」って言われてたけど、自由な時間は一切ない。選抜されたほうも大変なんだよって、当時は思ってた。

ダンプ その間うちらは、先輩たちがいないからって練習もしないで、千種とディスコに行ってたの。

飛鳥 今だから言えるけど、ダンプとは新人時代、一緒に住んでたんだよね。碑文谷の6畳一間、共同トイレ、共同洗面所。

大森 寮は1年で出されちゃう。私は、4畳一間だったな。

飛鳥 窓は2面あるんだけど、カーテンを買えなかったから、それぞれの少ない洋服をかけてカーテン代わりにしてた。

ダンプ 「次はお風呂付きのところに行きたいね」って話してて、それでも2人のお金だと足りないから、後輩の(立野)記代と3人でマンションに移った。

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photograph by Nanae Suzuki

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