快晴の9月24日。14時00分にフォーメーションラップが始まると、国際映像には「1962年の開設以来、1億3987万人の観客がこのサーキットを訪れました」という英文が表示された。開催地の特徴を示す“数字”は、鈴鹿サーキットの歴史とモータースポーツ文化を表すものだ。
日本グランプリが初めて鈴鹿で開催されたのは1987年。33回目の今年は最後の秋開催になった。来年の日本GPは4月に予定されている。
渡り鳥のように、F1は暖かい気候を求めて世界を旅する。フライアウェーと呼ばれるヨーロッパ外のレースは'87年当時16戦中5戦であったが、2010年には19戦中10戦とヨーロッパ戦の数を上回った。2024年には24戦中15戦がヨーロッパを出て戦われる。
陸路での輸送が不可能なグランプリはいくつかのグループに分けられ、機材はチームの本拠地に戻ることなく航空機や船で移動する。元来このツアー方式は主に輸送費を抑えるためであったが、近年は温室効果ガス削減という社会的責務を果たすため、より効率を要求される。目標は、'30年までにカーボンニュートラルを実現することだ。
台風の影響を避けるため、日本GPの開催は春に変更。
年間カレンダーの見直しを背景として、日本GPの春開催には大きな理由がもうひとつ――台風の影響を避けるためだ。'87年当時の日本では9月が台風の季節だったが、世界的な気候変動によって、10月も秋晴れの季節ではなくなってしまった。'04年には台風襲来の予報によって土曜の走行がすべてキャンセルされ、予選は日曜朝に行われた。'10年にも悪天候のため同様の対応が必要だったが、最悪の事態は'14年に発生した。降り続く雨のなか、コントロールを失ったジュール・ビアンキのマシンが他のマシンを撤去中の重機に衝突。ビアンキは意識不明のまま翌年7月に亡くなった。
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