「いちばん大切な思い出……?」
少し答えを探した後「やっぱり、亡くなった後かな」と木内健雄は言った。
「たとえば第3期F1のブラジルGP、彼のお墓参りをした時には、彼がいた存在の大きさをすごく感じました。ホンダを引退する時にはカミさんと一緒にヨーロッパを旅行したんですけど、途中でイモラに立ち寄ってセナの像を見て……あの頃と同じ恰好でそこに座っていたなぁ。
離れてからのほうが、折に触れそういう機会があって。一緒にいたのは僕がまだ30代前半の頃だったけど、自分のキャラクターの形成にものすごくインパクトを与えた人間だったなと、いま思います」
アイルトン・セナとホンダがともに過ごした6年間には、美しく感動的な物語がいくつも生まれた。しかし、あらゆる意味で自由な競争が繰り広げられた時代だ。F1はドライバーのエゴと技術者の負けん気が融合して速さを生む夢のような世界であると同時に、感情豊かで世俗的な“日常”の一面も隠さずに併せ持っていた。
セナの執念は時には家族でさえ許せない態度を生んだ
木内がセナのエンジン担当となったのは'90年。アラン・プロストに替わってゲルハルト・ベルガーがセナのチームメイトとなり、マクラーレン・ホンダは内部の平穏を取り戻していた。しかしライバルチームが台頭するなか、勝利に対するセナの執念は、家族のようなチームだからこそ、時には家族でさえ許せない態度を生んだ。
「若いエンジニアが一生懸命にまとめたデータを『こんなもん見たって速くならないよ!』って丸めて投げちゃったときには僕も許せなくて『チームの仲間にこんな態度を取る奴に使わせるエンジンはホンダには無い。いまから降ろす』って言ったら、ロン・デニスは慌てるし、隣でセナが興奮して泣き出すし(笑)。結局、次の日の朝礼でドライバーふたりが『これからはみんなの仕事をリスペクトします』って謝ることになった。ベルガーは、巻き添えです(笑)」
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