#1109
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「女の執念だったんじゃないか」ダンプ松本、ブル中野、影かほる…『極悪同盟』の素顔と本質《志生野温夫アナが語った「死人が出る」の怖さとは?》
2024/11/25
ド派手なメイクと奇抜なヘア。あまたの凶器を振り回し、悪行の限りを尽くしたヒール軍団。しかし、その内実は傍若無人な姿とは裏腹に規律と統率の取れた一枚岩の集団だった。ダンプ松本のマネージャーも務めたメンバーと全女の名物実況アナが当時を振り返った。(原題:[当事者たちが語る]素顔の極悪同盟 影かほる/志生野温夫)
「極悪同盟は家族だよね」
当時メンバーだった影かほるは、こう言った。影は、1985年8月28日に大阪城ホールで行われたダンプ松本対長与千種の敗者髪切りデスマッチで、ダンプの影武者としてリングデビュー。極悪同盟では後輩だったが、プロレスと芸能の超過密スケジュールに追われたダンプのマネージャーも兼務していた。本名は田口かほるで、ダンプから「かほちゃん」と呼ばれる縁の下の力持ち。ダンプのよき理解者であり、団体の功労者だった。
極悪同盟が全日本女子プロレス興業(以下、全女)のヒールユニットとして始動したのは'84年。松本香がダンプ松本に、'80年デビューの同期であるマスクド・ユウ(本庄ゆかり)がクレーン・ユウに改名して、東京都立川市の興行主だった阿部四郎が悪役レフェリーとして加わって、スタートした。翌'85年4月26日に島根・鹿島町立体育館で行われた極悪対決で、ユウが離脱。以降、家長のダンプは'88年2月25日に川崎市体育館で行われた引退試合まで、“未成年の娘たち”にとっての父となり、母となった。
長女は、17歳で髪の左半分をそり落とした中野恵子改め、ブル中野。次女は、プロ2年目で悪の道に進んだ斉藤真知子改め、コンドル斉藤。その下には'85年デビューの岩本久美子、石黒泰子、影かほる、仲前芽久美、坂本あけみなどが相次いでファミリー入り。'86年にデビューした宍戸江利花こと後のアジャコングも、極悪同盟のもとでヒールのイロハを学んだ。
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photograph by Kaoru Kage