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Jリーグ鹿島を辞めた「伝説のスカウト」柳沢敦、興梠慎三、大迫勇也、上田綺世…天才ストライカー獲得の裏で、じつは「人生終了」を覚悟した夜があった
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安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2026/04/10 11:01
今年1月に鹿島アントラーズを退職した椎本邦一さん
「正直、鹿島に戻るまでの移動中も戻ってからも生きた心地はしなかった。土下座しても来て欲しかったけど、やっぱり最後は本人の意思で決めないと意味がない。俺のスカウト人生も即終了だと覚悟したよ」
数日後、絶望の淵に立たされていた椎本のもとへ関係者から一本の電話があった。
「敦はアントラーズでお世話になります」
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椎本は全身の力が抜けて、その場に座り込んだ。
「後から本人に聞いた話なんだけど、元々Jリーグができた時からアントラーズのことが好きだったみたいで、それを知っていた親父さんが『敦、それで本当にいいのか。もう一度よく考えろ』と言ってくれたらしくて。最後はじっくり考えた上に鹿島を選んでくれた。そんな裏側なんて知る由もない。俺は嬉しくて、感情がめちゃくちゃだったよ」
綱渡りのような獲得競争を経た柳沢は、高卒1年目のシーズンでリーグ戦5ゴールを挙げるなど期待以上の飛躍を続けた。同年に獲得した平瀬とDF池内友彦もプロの世界で10年以上活躍する選手に成長した。
新人獲得選手ゼロの現実
一定の成果を収めた椎本だったが、翌1996年にもスカウトという仕事の厳しさに直面している。この年、椎本が声をかけた選手全員に振られ、新人選手の獲得がゼロに終わった。
高校No.1MFと謳われた前橋商業高の大野敏隆、東福岡高で守備の要を担った古賀正紘という有望株を逃すと、「隠し球として動いていた」と明かした佐賀商業高のレフティー三原廣樹にも最後の最後で断られた。
「大野、古賀は競合が多かったから仕方ないと思ったけど、三原はなんとしても欲しかった。でもダメで。結果として誰一人ルーキーを獲ることができずに『やっぱり俺にはスカウトは無理だ、もう辞めよう』と思ったんだよね」
この事実を報告した時は辞任する覚悟だった。だが、鈴木から返ってきたのは意外な言葉だった。
「椎、大丈夫だぞ。今年は移籍組がいいから」
1997年シーズンにはベルマーレ平塚のDF名良橋晃、ヴェルディ川崎のMFビスマルクといった大物を獲得することが内定しており、戦力は整っていた。
鈴木が寄せる期待と信頼が椎本の「責任感」を一層、強くしたのかもしれない。
「俺の中で1996年は満さんによってつながった1年だから、絶対に一生忘れない」
いくつかの失敗と柳沢獲得の成功は、のちのストライカー獲得に大きな影響を与えることになる。〈第2回に続く〉


