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Jリーグ鹿島を辞めた「伝説のスカウト」柳沢敦、興梠慎三、大迫勇也、上田綺世…天才ストライカー獲得の裏で、じつは「人生終了」を覚悟した夜があった
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安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2026/04/10 11:01
今年1月に鹿島アントラーズを退職した椎本邦一さん
「ユースを立ち上げて3年目、ようやくチームらしくなってきて『よっしゃ、ここからだ』と思っていた時に、(当時の代表取締役の)鈴木昌さんに呼ばれて『椎、お前スカウトやれ』と。もうびっくりでしたね」
当時、専任スカウトを置くクラブは少なかった。鹿島はフロントに所属する人間で手分けをして視察に行くという体制だった。そこに社長からのまさかの打診。さらに当時、トップのヘッドコーチを務め、強化の権限も担っていた鈴木満からも「高卒、大卒の選手はお前が全部決めろ」と、どの新卒選手を獲りにいくかという判断から正式オファーを含む交渉の進め方まで、すべてを一任される仕事だった。
“新人スカウト”に課せられたお題は「ストライカー獲得」。クラブのオーダーを受けた椎本は、まず2人の高校生に目をつけた。富山第一高校の柳沢敦と、鹿児島実業高校の平瀬智行だった。なかでも、柳沢は各クラブで激しい争奪戦が繰り広げられていた。
スポーツ紙で知った「柳沢マリノス入り」
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「当時、柳沢は誰が見ても一番の銘柄だった。強いし、速いし、うまい。それ以上に俺が目をつけたのは『誰と組んでも味方の能力を引き出せる力』だった。ストライカーというよりは、どの監督の下でやっても順応できる器用さ、なおかつ味方も自分も生きることができる選手だと思って、絶対に鹿島に欲しいと思ったんです」
実際にセレッソ大阪以外のすべてのJクラブがオファーを出した。そんな逸材の獲得を目指し、椎本は何度も富山に足を運んだ。富山第一の長峰俊之監督(当時)や父親と面会し、熱意を伝え続けた。
成果は実り、柳沢は鹿島入りを希望。交渉は順調に進んでいた。しかし、直前になって柳沢サイドが翻意し、もう一つの候補だった横浜マリノスへの加入を表明した事実をスポーツ紙の報道で知った。慌てた椎本は即座に富山に飛び、揺れ動く高校生の想いに耳を傾けた。椎本は一度その思いを尊重し、鹿島へ戻った。

