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前ロッテ・澤村拓一「引退決断までの舞台裏」最後まで模索したメジャー復帰の道「トランプ政権の影響、契約の壁…」最後まで続けたハードトレ 

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山田結軌

山田結軌Yuki Yamada

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posted2026/01/14 11:02

前ロッテ・澤村拓一「引退決断までの舞台裏」最後まで模索したメジャー復帰の道「トランプ政権の影響、契約の壁…」最後まで続けたハードトレ<Number Web> photograph by JIJI PRESS

惜しまれつつユニフォームを脱ぐ澤村拓一

 2011年に中大からドラフト1位で巨人に入団。先発として1年目に11勝を挙げて新人王を獲得するなど2年連続2桁勝利を挙げて主力投手となった。5年目の15年からクローザーに転向。16年には37セーブでセ・リーグのセーブ王を獲得した。一時は、調子を落とし三軍で過ごした。20年9月にトレードでロッテに移籍。同年オフに海外フリーエージェント(FA)の権利を行使してメジャー移籍した。

 レッドソックスと2年300万ドル(約4億7000万円)で契約。3年目は選手と球団に契約延長権が付帯していた。当時コロナ禍のため、オンラインで行われた入団会見では「チームが勝つための準備をしたい。どんな状況、場面でも腕を振る準備をするだけ」と語っていた。

ジャパニーズウイスキーで結束

 勝利へ最大限貢献する姿勢は、日本でも米国でも不変だった。1年目は55試合に登板し、5勝1敗、防御率3.06、2年目は1勝1敗、同3.73だった。157kmの直球、150kmを超えるスプリットの力勝負。闘志あふれるピッチングスタイルは、中継ぎ投手陣の団結を強固にし、その人間性と献身は仲間の心をつかんだ。移動するチャーター機内では、澤村が“ウイスキーをたしなむ会”を結成。自分で日本のウイスキーを買い出し、仲間たちとのコミュニケーションを深めた。

 メジャー2年目、澤村に困難の時が訪れる。右腕には人知れず涙を流した夜があった。〈つづく〉

#2に続く
「サワムラがマイナー降格なんて不当だ」同僚の言葉に涙した夜〈澤村拓一引退秘話〉猛批判にも貫いた筋トレ、ロッテへの恩「信念を持ってやっていた」

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