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プロ6年間で一軍登板は4度だけ…大阪桐蔭“黄金世代のエース”が他球団からのオファーに「移籍の選択肢はなかった」ワケは?「今となって考えれば…」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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posted2025/12/29 11:03

プロ6年間で一軍登板は4度だけ…大阪桐蔭“黄金世代のエース”が他球団からのオファーに「移籍の選択肢はなかった」ワケは?「今となって考えれば…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

大阪桐蔭から日ハムへと進んだ柿木蓮。プロ6年間で一軍登板はわずか4度だった。一方で、他球団からのオファーもあった中で移籍を決断しなかったのは…?

 だが、育成2年目はシーズン途中で右手指の爪がはがれた影響もあり、わずか16試合の登板に留まった。そのシーズン終了後に戦力外通告を受け、育成契約での挑戦は終わった。

 プロ野球選手生活は計6年。不完全燃焼のままユニホームを脱ぐことになったが、柿木は当時の胸の内をこう明かす。

「自分としては抑えるとなれば150キロをガンガン投げるより、140キロ台のボールでもしっかり抑えられれば良いというスタンスでした。でもプロ野球って興行ですし、どんな場面でも“150キロのボールも投げてほしい”という周囲の期待もある。その間でちょっとした葛藤もありました」

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 プロ野球界は結果が全て。その中でいかにファンに自分を“魅せる”ことができるか。ただ、支配下登録に向けて結果を重ねるために真剣勝負していた当時の柿木には“魅せる”余裕などなかった。

「中途半端な気持ちでは…続けるのも失礼」

 それでも自分は通用しなかった――。その後、独立リーグやクラブチームなどからのオファーはあったが、断りの連絡を入れた。周囲の関係者が繋いでくれた社会人野球の話もあったが、すぐに答えは出せなかった。

「周りから“野球はやれよ”とは言われました。自分ももちろんやりたかったですけれど、“悩んでいるんならやめろよ”と言う先輩もいました。どうしても野球を続けたいのなら別として、中途半端な気持ちのままで独立リーグやクラブチームで続けられるのかというのもあったんです。

 社会人でもプロを必死に目指している人がたくさんいる中で、自分が続けるのも失礼なのかなと思って。僕はプロ野球選手になりたくて、プロ野球選手として活躍したくて小学校2年から野球を始めたんですけど、その時のことを思うとこのままの自分でモチベーションをどう持っていけばいいか分からないですし」

【次ページ】 トライアウトにいた球界の外からの「スカウト」

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