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プロ6年間で一軍登板は4度だけ…大阪桐蔭“黄金世代のエース”が他球団からのオファーに「移籍の選択肢はなかった」ワケは?「今となって考えれば…」
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沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/12/29 11:03
大阪桐蔭から日ハムへと進んだ柿木蓮。プロ6年間で一軍登板はわずか4度だった。一方で、他球団からのオファーもあった中で移籍を決断しなかったのは…?
育成の話を最初に耳にしたのは、ちょうどフェニックス・リーグ参加のため宮崎に滞在している時だった。「初めは悔しさとか、何とも言えない感情ばかりでした」と本人。だが、熟考の末、育成選手として再出発することを選んだ。
プロ5年目、育成初年のシーズンの出だしは順調だった。
中継ぎ中心だったが18試合連続で無失点と好投を重ね、防御率が0点台の時期もあった。支配下登録期限の7月31日までに27試合に登板し、3勝1敗3セーブ。このままうまくいけば支配下登録の可能性もあったが、夏場のある時期に上層部からチーム事情の関係で支配下に上げられない旨の報告を受けてしまう。
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「そこから気持ちが切れてしまって、右肩の肩鎖関節の炎症を起こしてしまったんです。夏場は治療に専念して秋には実戦に戻って、シーズン終盤で調子が上がったので、もう1年やれると思ったんですけど……」
10月末に育成契約から1年が経過したため、柿木は一旦自由契約選手として公示された。
その後、11月に育成選手として再契約したが、実はこの契約に至るまでも続けるべきか大いに悩んだという。
「僕としては正直あまりやりたくなかったんです。でも母に“やっぱり野球をやっていてほしい”と言われたので、考えた末にあと1年やってみると決めました」
他球団からオファーも…「移籍という選択肢はなかった」
実はこの時点で他球団からのオファーもあったが、当時は他球団へ移籍する選択肢はなかった。
「日本ハムは自分を獲ってもらった球団なので、そんな簡単に(移籍は)考えられなかった。でも、今思えば環境を変えてみた方が何かが変わったかもしれないですね」

