- #1
- #2
野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平を超えていた“消えた天才”は今「私みたいになって欲しくない」プロ野球を諦めた“その後”…仙台育英の“ベンチ外”同級生は巨人でプロに
text by

中村計Kei Nakamura
photograph bySankei Shimbun
posted2025/12/20 11:05
仙台育英高のエースだった渡辺郁也(2012年夏の甲子園)
「彼、保険屋をやっていたんで、その営業の話だったと思うんですよ。僕のことを下に見ていたと思うので、笹川あたりから連絡してみようということだったんじゃないですか。いろいろな提案を聞いたんですけど、できるものはないよって伝えて。ただ、雰囲気が変わっていたので、今度、飲むかみたいな話になったんです。高校卒業して以来、初めて会ったんですけど、『ほんとに渡辺なの?』っていうくらいに変わってましたね。とげとげしさもまったくなくて。別人? って感じでした。本人にも言ったんですけど、引退してから会いたいと思ったこと一度もないよ、って。オラオラしてたイメージしかないんで。『俺も大人になるよ』って言ってましたね。大学、社会人で苦労したんでしょうね。見られる側にいた人間が見る側に回るときって、すごい葛藤があると思う。そこで変わったんじゃないですか」
高校までは自分を中心に周りの人間が動いてくれた。しかし、大学以降はその中心から外れざるをえなかった。
渡辺はスター監督となった恩師の須江をこう案じていた。
ADVERTISEMENT
「だいぶ無理しているんじゃないですか。いろんなことを言う人がいますけど、それは嫉妬だと思いますよ」
無名時代の須江を知っているがゆえに、注目され、少なからず鎧で身を覆わなければならなくなってしまった須江の体調が心配なようだった。渡辺は今や完全に「見る側」の役割が板に付いていた。
渡辺は2019年に結婚している。相手は高校のときから付き合っていた女性だ。
10年の交際を経て入籍し、その2年後に女の子を授かった。2024年9月には第二子にも恵まれた。
渡辺は顔をほころばせる。
「子どもって、何でもできるまでやるんですよね。鉄棒とか。自分の可能性を捨てていない。そういうのを見てると幸せな気持ちになれるんですよ」
渡辺にとって子どもの存在は野球を手放してから初めて得た確かな幸福だった。その満たされた思いが、長いこと居座っていた劣等感を押しのけてくれた。
久々に心の中に空きスペースが生まれた。今、そこの一部に「野球」を入れている。
「もうちょっと落ち着いたら、少年野球とかで野球を教えたいなって思いはあります。いちばん楽しかった時期でもあるし、私みたいになって欲しくないというのもあります。挫折したとき、大人の助言も必要だと思うので」
◆
そして取材終盤、渡辺が大谷翔平について語った本音とは――。
書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』(文藝春秋)。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……天才たちは、30歳になってどうなったのか? 徹底取材ノンフィクション。(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

