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大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」

posted2025/10/15 11:19

 
大谷翔平が発言「彼にはかなわない、負けたと思いました」青森にいた“怪物中学生”…なぜプロ野球を諦めたのか? 本人語る「大谷と初めて話した日」<Number Web> photograph by Getty Images

大谷翔平に「かなわない」と言わしめた大坂智哉の今

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中村計

中村計Kei Nakamura

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 かつて大谷翔平よりも“天才”と呼ばれた同世代がいた。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……。天才たちは、30歳になってどうなったのか? 書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』が発売される。
 その書籍のなかから“怪物中学生は今”を紹介する。あの大谷に「負けた」と言わせた少年、大坂智哉。彼を追って、女川町を訪ねた。【全2回の1回目/第2回も公開中】

◆◆◆

 白いユニフォームにオレンジ色の「55」が映える。その日、お目当ての選手は東北の小さな町の野球場にいた。

 仙台駅から仙石線、さらに石巻線と乗り継ぎ、宮城県の北東に突き出た牡鹿半島の付け根を東に進む。およそ2時間後、石巻線のターミナル駅でもある女川駅に到着した。

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 海に面した女川町は2011年の東日本大震災のとき、最大で20メートルの津波に襲われた。街の9割に当たる住宅が被害を受け、死者と行方不明者を合わせるとその数は827名にものぼった。街全体が新しく感じられるのは震災時、あらゆるものが津波の犠牲となり、のちに修復および再建されたからだ。

 女川町民野球場は駅から車で約5分のところにあった。同球場は震災後、長らく仮設住宅地として利用され、2021年にリニューアルオープンしたばかりだった。

 背番号「55」と言えば、ひと昔前までは巨人、ヤンキースで活躍したスラッガー松井秀喜の象徴だった。だが、近年においてはヤクルトの村上宗隆だろう。2022年、史上最年少となる22歳で三冠王を獲得した令和の怪物だ。

 左打席に立つオレンジ色の55番も、村上ほど上背はないが、いかつい風貌、筋骨隆々とした体型、そして力感のあるフォームはどことなく村上を想起させた。

 その選手こそ20年近く前、あの大谷翔平をしてかなわないと言わしめた大坂智哉だった。

大谷「負けたと思いましたね」

 大谷翔平世代の取材を始める前、資料を渉猟する中で見つけたのが大坂の名前だった。大坂は左投げ、左打ちである。

 2017年夏に発行された『Number』933号の中で、大谷は中学時代を振り返り、こう吐露している。

【次ページ】 大谷「負けたと思いましたね」

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