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野ボール横丁BACK NUMBER
大谷翔平を超えていた“消えた天才”は今「私みたいになって欲しくない」プロ野球を諦めた“その後”…仙台育英の“ベンチ外”同級生は巨人でプロに
text by

中村計Kei Nakamura
photograph bySankei Shimbun
posted2025/12/20 11:05
仙台育英高のエースだった渡辺郁也(2012年夏の甲子園)
「就職先は相談もせずに勝手に決めちゃいました。言いづらかったので。それで夏頃、『野球、やめるから』って言ったときは両親ともにガッカリしていましたね」
ただ、両親以上に落ち込んでいたのは須江航(※秀光中時代の恩師)だったという。
「さんざん目をかけてもらいましたし、大学時代、野球を続けろよって、ずっと言われていたんで。4年生のときも社会人のチームに話しておくからって言われたんですけど、もう就職決まった後だったんで……」
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須江は今も無念そうに話す。
「大学4年生のときは最後の方、渡辺は代打要員みたいになっていて、バスターとかもしていたんですよ。でも、今からでもバッティングにしっかり向き合う時間さえあれば、まだプロに行けると思っていたんです。とにかくやめないで欲しいって言ったんですけどね」
社会人になってからの渡辺は意識して野球を遠ざけた。草野球も滅多にやらなかったし、野球に関する情報もできる限り遮断していたという。
あの松原聖弥がプロに……「何をやってるんだろう、俺」
しかし、いくら距離を置いていても、嫌が上にも耳に入ってきてしまうニュースもあった。
仙台育英の同級生で俊足が武器だった松原聖弥(西武、今季現役引退)は、高校時代にベンチ入りさえ果たせなかったにもかかわらず、明星大を経て2016年に巨人から育成ドラフト5位で指名を受ける。そして巨人の一番としてレギュラーに定着した2021年には、27試合連続安打という快記録を残した。
そのニュースは渡辺を憂鬱にさせた。
「松原が連続ヒットとか打ってたじゃないですか。仲はいいんですけど、純粋に応援はできなかったですね。試合も見られなかった。仙台で保険屋さんをやってるときだったんで、落ち込むというか、どうしても『何をやってるんだろう、俺』みたいになっちゃうので。プロになった後輩もたくさんいますし、大谷とかはとんでもないことをやっていましたし。それに比べての自分なんで……」
現役時代を落ち着いて振り返ることができるようになったのは、つい最近のことなのだという。大谷の試合を観ることができるようになったのも、である。
「少年野球で教えたい。私みたいになって欲しくない」
3、4年ほど前、笹川裕二郎(※仙台育英時代の同級生)のもとに突然、渡辺から連絡があったそうだ。

