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「DeNAが最後の働き場所だと思っていた」巨人新二軍監督・石井琢朗が明かした“違うステージ”への決意「猛練習主義、と言われますが…」
posted2025/12/17 06:01
古巣・ベイスターズから意外な転身でジャイアンツの二軍監督に就任した石井琢朗氏。その熱い胸中を語った
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
SANKEI SHIMBUN
来季の優勝奪回が至上命題の阿部巨人で、今最も注目されている“補強戦力”はこの人物だろう。今オフ、DeNAから移籍し、桑田真澄氏に代わって二軍監督に就任した石井琢朗氏(55)である。
現役時代は投手から野手に転向して1998年の横浜優勝と日本一に貢献し、広島に移籍してNPB歴代12位の2432安打をマーク。2012年限りで現役を引退してコーチ専任になると、広島で丸佳浩(巨人)、鈴木誠也(カブス)らを育て上げ、2度のリーグ優勝に尽力した。その後、ヤクルト、巨人を渡り歩き、古巣のDeNAに戻ってコーチを務め、名伯楽とも優勝請負人とも呼ばれている。
それほど輝かしい実績を持つレジェンドが、次のステージを巨人に定めた理由は何か。定評のある“琢朗イズム”でどのように若手を鍛えるつもりなのか。早速秋季キャンプの指導に当たったジャイアンツ球場で、石井二軍監督が初めて胸中を明かした。〈全2回の1回目/つづきを読む〉
現役時代は投手から野手に転向して1998年の横浜優勝と日本一に貢献し、広島に移籍してNPB歴代12位の2432安打をマーク。2012年限りで現役を引退してコーチ専任になると、広島で丸佳浩(巨人)、鈴木誠也(カブス)らを育て上げ、2度のリーグ優勝に尽力した。その後、ヤクルト、巨人を渡り歩き、古巣のDeNAに戻ってコーチを務め、名伯楽とも優勝請負人とも呼ばれている。
それほど輝かしい実績を持つレジェンドが、次のステージを巨人に定めた理由は何か。定評のある“琢朗イズム”でどのように若手を鍛えるつもりなのか。早速秋季キャンプの指導に当たったジャイアンツ球場で、石井二軍監督が初めて胸中を明かした。〈全2回の1回目/つづきを読む〉
まず、選手、コーチの両方で実績を築き、98、24年と2度の日本一に貢献した古巣ベイスターズを退団することへのためらいはなかったのか。これはDeNAと巨人、両方のファンにとっても非常に気になっているところだ。
横浜が最後の働き場所かなと思っていた
「正直言って、DeNAを離れることへのためらいはありましたよ。平成元年(89年)に高校(栃木県立足利工業高校)から前身の横浜大洋ホエールズに入団して、4年目(92年)に投手から野手に転向し、ちょうど20年間、横浜一筋にやってきた。言わば、石井琢朗という野球人の生みの親であり、発祥の球団ですから。
現役晩年(09年)に横浜から広島へ移籍して、そこで(13年から)コーチに転身して、(18年に)ヤクルト、(20年に)ジャイアンツにも行った。でも、やっぱり最終的には古巣の横浜に戻りたい、という思いがずっとありました。
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それで(22年に)やっと戻ってきて、横浜が野球人としての最後の働き場所になるのかなと思ってたんです。今まで自分が経験してきたもの、積み上げてきたものを、ようやく古巣に還元できる時がきたんだろう、と。当然のことですが、DeNAのために働いている間は、退団することになるなんて考えてもいませんでしたね。
そういう意味で、(巨人からの)オファーは、まさか、でした。55歳という年齢も年齢なので。当然、すごく悩みましたが、決断するのは早かった。迷っていられる時間がそんなになかったこともありますけど」

