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「二度にわたる大乱闘」巨人・堀内恒夫の顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトOBの告白…長嶋茂雄も嘆いた「どうしてこんなことばっかり」

posted2025/12/08 11:04

 
「二度にわたる大乱闘」巨人・堀内恒夫の顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトOBの告白…長嶋茂雄も嘆いた「どうしてこんなことばっかり」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

ヤクルトをはじめ多くのチームでコーチを歴任した伊勢孝夫。現役時代はその勝負強さから「伊勢大明神」の愛称で知られた

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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Sankei Shimbun

1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が発売された。広岡達朗とスワローズナインは、宿痾のようにこびりついていた“ジャイアンツコンプレックス”をどう克服したのか? 同書籍より「巨人との大乱闘」を描いた章の一部を紹介する。(全2回の1回目/後編へ)

代打の切り札「伊勢大明神」の活躍

 その勝負強いバッティングから「伊勢大明神」と称されていた伊勢孝夫はこの年、「代打の切り札」としての役割を与えられていた。

「あの頃はみんな、よぉ打った。ワシはずっとベンチで待機しているんだけど、5回過ぎからベンチ裏で身体を動かしたり、バットを振ったりして、“ボチボチかな?”って思っていると、広岡さんと目が合う。そういうことは何回かありましたよ」

 試合中盤以降、「ここぞ」という場面で「代打・伊勢」とコールされる。左投手ばかりではなく、右投手に対しての起用も多かった。この年、広岡が最も頼りにしていたのが伊勢だった。開幕以来、伊勢の快進撃は続いた。5月12日のホエールズ戦では第1号ツーランホームランを記録し、28日のカープ戦では抑えの切り札・江夏豊から2号逆転スリーランホームランを放っている。

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「あれはね、たまたまですよ。あの日は近鉄の二軍が広島に来ていて、昔一緒にやっていた仲間がコーチになっていて、広島市民球場まで見に来てくれたんです。まぁ、それがあったから打てたというわけじゃないけど、たまたまですよ」

 本人は「たまたまです」と謙遜するが、1978年シーズン前半戦、伊勢の快進撃はさらに続くことになる。

 5月22日から6月3日まで5打席連続代打ヒットを記録。続いて6月3日にはタイガースの江本孟紀からサヨナラの口火となるレフト前ヒットを放ち、二日酔いの井原がロングリリーフをした14日にはカープの外木場義郎から逆転サヨナラヒット。さらに18日にはジャイアンツ・小林繁から土壇場で同点に追いつくタイムリーヒットも放った。

【次ページ】 顔面死球を受けて「バッターとして終わった」

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