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「ウチに来る可能性は低いと思った」ヤクルト一筋20年で今季引退…元首位打者が「和歌山の公立高校」を選んだ“意外なワケ”は? 恩師が語る当時の秘話
posted2025/12/09 11:00
今季限りでの現役引退を発表したヤクルトの川端慎吾。2015年には首位打者も獲得した「プリンス」の原点だった高校時代とは?
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph by
JIJI PRESS
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が、38歳となった今季限りで現役引退を表明した。
06年、高卒プロ1年目ながら一軍キャンプに抜てきされ、シーズン終盤の10月9日の中日戦で一軍初出場。それからケガで一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンもあったが、プロ6年目から一軍で100試合を超えるようになり、2015年には首位打者も獲得した。
2019年4月20日の中日戦ではプロ野球史上294人目の1000安打を達成。同年9月4日の広島戦では通算1000試合出場も達成した。ここ数年は代打の切り札として勝利に貢献してきたが、ファーム調整の時期も続いた上での決断だった。
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そんな教え子の姿を見守ってきたのが、川端慎吾の恩師でもある真鍋忠嗣氏だ。
市和歌山商で84年秋から監督を務め、88年から3年間一旦監督を離れるも91年から再任し、2011年夏まで市和歌山商(09年より市和歌山に改称)を指揮。春夏計3度、チームを甲子園に導いている。
高校時代の恩師は「40歳までやれたらいいね」
そのうち2回は川端慎吾が在学していた04年夏、05年春だった。真鍋氏にとって川端は教え子の中で特別な存在だったが、功績を称えつつ教え子の思いをこう口にする。
「彼自身、40歳まで現役をやりたいという夢があったんですよ。確か首位打者を獲った10年前くらいかな。慎吾とそういう話をしていて、僕自身も(40歳まで)やれたらいいねと話していて、じゃあ頑張ろうと約束したんですよ。でも、シーズンオフになるたびに毎年そこまでできるのか、という話は出ていたみたいです。
現役にこだわるなら他球団で、というのもあったと思うけれど、同一球団で20年間もプレーできたことは立派だし、ファンの皆さんのご声援もあってここまで来られたのだと思います」

