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「正直、ヤクルトはそこまで評価していなかった」恩師が振り返る“現役引退”ある首位打者のドラフト狂騒曲「今となれば良かったと心から…」
posted2025/12/09 11:01
今季限りでの現役引退を発表した川端慎吾。ヤクルト一筋20年のレジェンドだが、ドラフト当時の評価はそれほどでもなかったという
text by

沢井史Fumi Sawai
photograph by
JIJI PRESS
類稀なバットコントロールで2015年に首位打者、最多安打のタイトルを獲得。ベテランとなってからは、代打の切り札としても活躍したヤクルトの川端慎吾。今季限りでの引退を表明し、来季からは二軍の打撃コーチに就任するが、その原点は市立和歌山商高(現市立和歌山高)時代にある。当時の恩師が語る“ツバメのプリンス”の高校時代とは。《NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む》
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が今季限りで現役引退を表明。2015年には首位打者も獲得した好打者だが、その原点は高校時代にある。恩師である真鍋忠嗣氏は、川端をどんな風に記憶しているのか。
川端は2年秋の近畿大会ではベスト8に勝ち進み、チームも翌春のセンバツ出場にもぐっと近づいた。
それほど注目度は高くなかった高校当時の川端
当時、近畿では同世代に平田良介(大阪桐蔭→中日)、岡田貴弘(T-岡田/履正社→オリックス)という超高校級の大砲が名をはせていた。そんな黄金世代の中で、真鍋氏は川端の当初の注目度は決して高くなかったと明言する。
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「慎吾は高校入学当時からプロ志望でしたけど、本格的に見ていただけるようになったのは2年秋くらいからじゃないですかね。理由は股関節が硬かったから。守備にしても動きに関してどうですかね……というクエスチョンマークがプロ側についていたと思うんです」
その注目度が増すきっかけとなったのが3年春のセンバツだった。2回戦で対戦した神村学園戦で、4打席目にエースの野上亮磨(元西武→巨人)から豪快な2ランホームランを放ったのだ。
「あのホームランが大きかったと思います。慎吾はずっと3番で起用してきたんですけど、あの春は確か1番で出場させていました。打席が多く巡ってくるというのもあって。あのホームランから慎吾のことを見てくださる方が増えました」

