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「廃校直前」離島の普通の公立校が“県大会11連覇”絶対王者を破って全国高校駅伝に出場した「まさかの実話」…9年前“小豆島の奇跡”はなぜ起こった?
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別府響Hibiki Beppu
photograph byJIJI PRESS
posted2025/11/04 11:00
香川県の北部、瀬戸内海に浮かぶ小豆島。「離島の普通の公立校」の陸上部は、いかにして全国高校駅伝に辿り着いたのか
自主性重視の指導というのは、選手本人の目的意識に大きく左右される。それまでの部がそもそも高いレベルを求めていないのであれば、当然、到達する走力にも限界があった。
また、そのトレーニングも中学時代とは大きく変わったと真砂は振り返る。
「荒川先生の指導は補強や動きづくりのトレーニングがとても多いんです」
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平日の流れは、15時頃授業を終えると16時頃からウォーミングアップと腹筋・背筋などの補強。そこから60分程度の本メニューを行い、その後にまたドリルなどの動きづくりと補強を1時間……というのが基本的なルーティーンだった。極論すれば、走っている時間よりも、それ以外の時間の方が長かったという。
こういった基礎的なトレーニングは、高校時代のみならずその後の成長も考えた効果的な指針である。実際に増田は「あれで走りがだいぶスムーズになりました」と振り返る。
一方で、真砂のようにもともと我流で走れてしまっていたタイプは、当初はその変化にうまくアジャストできなかった。
「もちろん専門のトレーナーさんもいたんですけど、僕自身が身体の使い方がめちゃくちゃ下手で。補強や動きづくりも多分、正しいフォームでできていなかったんですよね。それで、うまくトレーニングを走りに落とし込めなかったんです。そこから変にフォームが崩れて、故障もあったりで、1年目は全然調子が上がらなくて」
結果的に、皮肉にも高い目標をぶち上げたルーキーは不調に陥り、それ以外の選手がグングンと記録を伸ばすという逆転現象が起こっていた。
すると、当初はどことなくリーダーキャラだったはずの真砂も夏を越える頃にはどことなく大きなことが言えなくなってしまっていた。また、増田は増田でそもそも「入学当初は駅伝よりも個人で活躍することを考えていた」と、ハナからマイペースだった。
真砂と増田…迎えた初の高校駅伝の結果は?
そうして迎えた11月。
真砂と増田にとって、小豆島高校として初の香川県駅伝。1年生5人、3年生2人で王者・尽誠学園に挑んだ初の挑戦は――実に5分以上の差をつけられての完敗だった。
真砂と増田も1区と4区の主要区間を任されたものの、尽誠のランナー相手にそれぞれ1分以上の差をつけられた。とてもではないが「島から初めての都大路」など冗談でもいえる結果ではなかった。
「普通に尽誠に行っていたら、どうだったんかなぁ……」
レース後にはそんなことを考えるほど、真砂の心もへし折られていた。しかもこの駅伝後には3年生が引退。前述のように2年生部員はいなかったため、1年生にもかかわらず真砂がキャプテンに任命された。
「このままじゃ何年経っても都大路なんて絶対、無理やぞ――」
入学前に思い描いていた“小豆島の奇跡”は、早くも暗礁に乗り上げていた。
<次回へつづく>

