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「廃校直前」離島の普通の公立校が“県大会11連覇”絶対王者を破って全国高校駅伝に出場した「まさかの実話」…9年前“小豆島の奇跡”はなぜ起こった?
posted2025/11/04 11:00
香川県の北部、瀬戸内海に浮かぶ小豆島。「離島の普通の公立校」の陸上部は、いかにして全国高校駅伝に辿り着いたのか
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph by
JIJI PRESS
いまを遡ること12年。2013年のこと。中学3年生の真砂春希は、その夏、自身の進路に悩んでいた。
真砂が生まれ育ったのは、四国・香川県の北東に位置する小豆島という離島である。
壺井栄の小説『二十四の瞳』の舞台としても有名な、人口2万5000人ほどの小さな島。当時、島には小豆島高校と土庄高校という2つの高校があった。普通にいけば、真砂もこの地元の小豆島高校に進学するはずだった。
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ところが、幸か不幸か真砂には陸上競技の才能があった。
その年の県中学総体の1500mと3000mで3位に食い込むなど、県内でも有数のランナーになっていた。そのうえで高校では、インターハイなど個人競技での全国大会はもちろん、12月の「都大路」と通称される全国高校駅伝に出たいという夢があった。
「普通にいけば、ジンセイだよなぁ――」
ジンセイ=尽誠というのは、当時、香川県の高校駅伝で8連覇中だった“王者”尽誠学園のことだ。
端的に言えばこの頃の香川の駅伝界は尽誠学園の一強状態。OBの中には日本代表選手も活躍していた。もちろん同校から勧誘の声がかかっていた真砂にとって、そこへの進学は当然の第一候補でもあった。
一方で、地元の小豆島高校はといえば、部員不足で前年は駅伝の県予選へ出場すらできていない。本来なら、迷うはずもない選択だった。
それでも真砂が進学を迷ったのは、第一に島の隣の中学校にいた向井悠介という後輩の存在だった。向井は当時、2年生ながらすでに全国大会の3000mで好走しており、普通にいけば翌年はそれこそ全国でもトップ級のランナーになることが容易に想像できた。そんな“島の神童ランナー”から「僕は小豆島に行きますよ」と宣言されていたのだ。
とはいえ、高校駅伝は7人でタスキをつなぐ。大エースが1人いただけでどうにかなるものではない。向井の言葉だけなら真砂の決意も揺らがなかったはずである。
ところが、そんな真砂にさらなる迷いを与えたのが、同い年でその年の県中学総体1500mと3000mで2冠を達成していた増田空の言葉だった。
真砂を困惑させた県王者の「まさかの言葉」
増田は、島生まれの真砂から見れば「本土」にあたる高松市に住んでいた。
県王者という実績もあり、尽誠学園はもとより他県からの誘いも多かったはずだ。その増田から、一緒になった大会で耳を疑う言葉を聞いたのだ。
「俺、小豆島に進学すると思う」
端的に言って、真砂は困惑した。
当時の小豆島高校は、離島にあることを除けばごくごく普通の公立校である。


