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「廃校直前」離島の普通の公立校が“県大会11連覇”絶対王者を破って全国高校駅伝に出場した「まさかの実話」…9年前“小豆島の奇跡”はなぜ起こった?
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別府響Hibiki Beppu
photograph byJIJI PRESS
posted2025/11/04 11:00
香川県の北部、瀬戸内海に浮かぶ小豆島。「離島の普通の公立校」の陸上部は、いかにして全国高校駅伝に辿り着いたのか
もちろん強い運動部があるわけでもなければ、特殊な施設があるわけでもない。親の転勤などの例外的なケースを除けば、島外からの進学など、普通はあるはずもない。その地元の高校に、何を血迷ったのか同期の県チャンピオンがくるかもしれないという。
「信じられない」という思いの一方で、そこで真砂は中学生らしい英雄譚の可能性に気付いてしまう。
「普通の強豪校から都大路に行くよりも、地元の――しかも離島の高校から、初めての出場を目指す……アレ、こっちの方が面白いんじゃない?」
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自分と増田というツートップが進学すれば、翌年は更なる潜在能力を秘めた向井も入ってくるという。これはひょっとすると、絶対王者を止められるかもしれない。
15歳の真砂少年は、その思い付きの魅力に抗うことができなかった。
「結局、それで小豆島に進むことを決めて。増田にも『島から一緒に都大路に出よう』と伝えました。香川の高校って、あまり駅伝に強いイメージがないんです。それも悔しかったので、これだけ人が集まればその印象も変えられるんじゃないかという思いもありました」
両親はともに実業団ランナー…サラブレッドだった増田
「正直、当時はあんまり深く考えていなかったんですよね(笑)」
現在26歳になった増田空は、高校入学の際の自身の「異例の決断」について尋ねると、そんな風に苦笑した。
そもそも増田は両親がともに長距離種目の実業団選手という長距離ランナーのサラブレッドだった。一方で、親は競技に関しては「自分でやりたいならやったらいい」と、本人の自主性を尊重してくれていた。
そんな中で、自らの意思で長距離競技を選んだ増田は、順調に記録を伸ばすと中学時代には香川の県王者にまで成長する。全中への出場こそ逃したものの、県下では実力派ランナーとして知られるようになっていた。
高校進学に際しても尽誠学園はもちろん、その血筋もあってか、県内外問わず多くの強豪校から勧誘の声がかかった。
だが、そんな中でなぜか増田の心に引っかかったのが“離島の公立校”小豆島だった。
その理由を当人はこう振り返る。
「もともと両親と小豆島の荒川雅之監督に交流があったんですよね。それもあって何かの機会に話をしたときに、他の強豪校はどうしても結構、型にはまったトレーニングスタイルだったのに対して、小豆島はすごく自由で。自分のペースで練習ができそうだったんです。
ウチは両親がかなり自主性に任せるスタイルだったので、中学まで自分でいろいろメニューを考えたりして伸びてきていました。なので、そのスタイルに近い方が良いんじゃないかと思ったんです」
もちろん当時、小豆島の中学に真砂や向井といった有力ランナーがいることも頭の片隅にはあった。強いチームメイトがいれば、それだけ自身も成長しやすい。彼らも自分が実際に島に行くと分かれば、地元の高校に進学する可能性が高いだろうという打算もあった。

