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「廃校直前」離島の普通の公立校が“県大会11連覇”絶対王者を破って全国高校駅伝に出場した「まさかの実話」…9年前“小豆島の奇跡”はなぜ起こった?
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別府響Hibiki Beppu
photograph byJIJI PRESS
posted2025/11/04 11:00
香川県の北部、瀬戸内海に浮かぶ小豆島。「離島の普通の公立校」の陸上部は、いかにして全国高校駅伝に辿り着いたのか
ちなみに当時の駅伝強豪校と言えば、基本的に髪型は丸刈り。増田としてはそこにも「ちょっとだけ抵抗がありました」。普通の公立校である小豆島は体育会文化とは縁遠い。そんな自由さも増田の心に刺さった。
そしてそんな増田の鷹揚さは、実際に小豆島を訪ねた際に、島の牧歌的な雰囲気と見事に合致する。
「最初は島にある旅館の一部屋を借りて、そこに下宿する予定だったんです」
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スポーツ強豪校には必須の寮など、離島の公立校にあるはずもない。苦肉の策で当初は島内の旅館を使わせてもらおうと考えていたのだが、実際に島に行ってみると予想外の出来事が起こる。
「入学前に一度、現地に行ってみたんですよ。そうしたら、色々あって部のOBの方と仲がよい学校の近くのおばちゃんが『部屋を貸してくれる』という話になって(笑)。立地的にもそっちの方が高校に近かったので、『じゃあそこを使わせてもらおうかな』と」
増田はあっさりと話すが、普通に考えれば「?」があふれる話ではある。
特に血縁関係や知人というわけでもない人の家に居候して、高校生活が始まるのだ。しかも周りは島内出身者ばかりの完全アウェーな環境。だが、意外にも本人は「むしろみんな『なんでわざわざ島外から来たの?』と興味を持ってくれて。結構溶け込みやすかったですよ」とあっけらかんとしていた。
結果的にそんな増田の懐の深いキャラクター(と、下宿先のおばちゃんの家)は、のちにチームに大きなプラスを与えることになる。
こうして2014年の4月、真砂と増田はともに小豆島高校に入学した。
県下のトップランナー2人に加えて、もともと島内の中学校にいたそれなりに力のある選手も、2人の進学のおかげか何人か陸上部へと入部した。
県トップランナーが入学…「普通の公立校」はどうなった?
そして、ここから離島の公立校は、瞬く間に快進撃を繰り広げる――ことにはならなかった。
それもそのはずで、真砂たちが入学した際、小豆島高校の陸上部の長距離種目には2年生がひとりもおらず、3年生が数人いただけ。もちろん本気で都大路など考えたこともない。良くも悪くも「普通の高校の部活」に過ぎなかった。
そんなところでいきなりルーキーが「全国高校駅伝を目指したいと思います」とぶち上げても、当然、困惑と懐疑的な空気だけが残った。
2012年から小豆島高校に赴任していた荒川監督は、前任校で後にニューイヤー駅伝1区区間賞などの実績を残すことになる中村信一郎(早大→九電工)らを育てるなど、実績のある指導者だった。とはいえ、増田が「自由に感じた」と言うように、基本的には選手の自主性を尊重する指導スタイルだった。

