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「あ…阪神の田村さんですか?」体ボロボロ37歳で戦力外通告、警察から職務質問も…阪神投手の引退後「学生に混じって猛勉強」“元天才”の再起
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岡野誠Makoto Okano
photograph byNumberWeb
posted2025/11/01 11:01
かつて阪神で活躍した田村勤さん(60歳)
「ジャイアンツ戦で、松井の打席って視聴率高いじゃないですか。一番の見所で、タイガースファンの期待を背負って、松井をキリキリ舞いさせる。それが僕の仕事ですからね。ただね、1本ホームラン打たれているんですよ。いつものようにスライダーを投げときゃいいのに、抜いたカーブを放ったら、甲子園のバックスクリーン横にものすごい打球が飛んで行きましたよ。当たったら、すげえわって」
松井キラーとして一花咲かせる遠山奨志はサイドスローに転向する際、田村のフォームを参考にしていた。33歳のベテランは試合以外でも“無形の力”となって、チームに貢献していた。阪神の選手にボヤいてばかりいた野村も、賛辞を送った。
野村克也が絶賛も…3年後に戦力外
〈「マウンドですごい顔してるな。このやろうって」「再生してもらうんじゃない。自分でやるんだというのが頼もしい」「鑑(かがみ)がいたな、阪神の。やっぱり考え方がしっかりしてるわ〉(1999年8月24日付/熊本日日新聞)
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1シーズンを投げ終えると、身体がまたしても悲鳴を上げた。肩とヒジが思うようにならない00年オフ、阪神から戦力外通告を受ける。翌年、オリックスに移籍して4度目の復活を果たすも、遂に限界がやってきた。
「最後の年は、ボールが指から離れなかった。感覚が麻痺していて、捕手のほうに行かない。持ったまま、三塁方向に投げてしまったりしていた。未練はあったけど、もう引退するしかなかった。まだ投げられたら、辞めなかったかもしれない」
02年10月14日、プロで初めて真っさらなマウンドに上がった田村は日本ハムの森本稀哲を三振に仕留め、引退。この時、田村は37歳だった。駒澤大学時代の恩師・太田誠監督に「ケガで苦労したから、同じ人の気持ちがわかるだろう。身体を診る仕事をしたらどうだ」と勧められ、柔道整復師の国家資格に挑戦。3年制の専門学校に入学した。


