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「巨人史上No.1投手」は何者か? 門限破りの常習犯、ドラフト1位で“プロ野球13連勝”の童顔18歳…大谷翔平のポストシーズン“伝説の1日”を超える天才
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太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2025/10/27 06:00
「巨人史上No.1投手」といわれる堀内恒夫の現役時代
プロ野球で最も速い球を投げたのは誰かという議論に、堀内の名前はそれほど出てこないが、特に1年目、2年目は相当に速かったと言われる。快進撃を続けていた1年目のシーズン途中に、『週刊朝日』が特集を組み、その中で堀内の球速を測る実験が後楽園球場のブルペンを使って行われた。光電管を仕込んだ内径45センチの2つの鉄製の輪をホームベース上に置いて、ボールがそこを通過するとスピードが測れる仕組みだった。
この実験で、堀内の速球は155キロを計測したという。現在、スタットキャストで計測される球速は、投手の手元を離れた際の初速であり、ホームベース上の終速より10キロ程度速いとされ、そうなるとこの時の堀内の初速は165キロになる。実験の精度にやや疑問が残るが、こうした実験が行われたこと自体、堀内の速球が相当に速かったのは事実だろう。
巨人が日本シリーズを9年連続で制したV9は、1965年から1973年だが、堀内は入団した年のV2からV9までをエースとして牽引した。このV9期間のセ・リーグMVPは、王貞治5回、長嶋茂雄3回と、ONが独占していたが、唯一1972年だけは堀内が受賞している。
門限破りの常習犯だった…
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ダイヤモンドグラブ賞にも7年連続で選ばれるなど、類まれな野球センスを存分に発揮したが、堀内は高校時代から練習嫌いで通っていた。高校時代の監督だった菅沼八十八郎は「堀内の素質に、例えば王貞治の根性と強靭な精神の半分でも備わっていたならどんなに素晴らしいだろう」と思ったという(『ただ栄光のために:』海老沢泰久/文春文庫)。
巨人入団後は、寮の門限破りの常習犯で、当時の寮長の武宮敏明から「巨人歴代三悪」と呼ばれ、温厚な王から殴られたこともあったという。
18年間の現役通算で203勝139敗の成績を残したが、ベストシーズンは旋風を巻き起こした高卒1年目だった。天才・堀内に、王貞治の精神が宿っていたら、プロ野球の世界で大谷翔平のような選手に成長していたかもしれない。
さて、当企画の現チャンピオン菅野智之(2017年)とのベストシーズン対決である。

