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「本気でやれよ。お前らも、日本代表だろうが」石川祐希らを叱り続けた“鬼のリベロ”「永野さんはとにかく怖かった」男子バレー低迷期の葛藤
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田中夕子Yuko Tanaka
photograph bySankei Shimbun
posted2025/09/22 11:02
2016年、2大会連続でオリンピック出場権を逃したバレーボール男子日本代表。リベロの永野健(手前)は厳しい表情で戦況を見つめる
2014年2月、就任1年で解任されたサトウの後を引き継ぐ形で再建の手綱はパナソニックパンサーズでVリーグの連覇、天皇杯を含む三冠を達成した南部正司に渡った。
南部は6年後の東京五輪を見据えた長期強化と男子バレー人気回復を目的に、18歳だった石川祐希や当時は無名だった山内晶大や高橋健太郎といったポテンシャルを秘めた若手を抜擢。前年に代表選出された大学生の柳田将洋と合わせ、のちに彼らを「NEXT4」と打ち出す。話題性は抜群だった。
一方で、リオ五輪の出場権をかけた戦いは迫っていた。抜擢された若手と危機感を抱き続ける永野らとでは、意識の差は明らかだった。そのギャップを埋めるため、永野は厳しい言葉や態度で接した。
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「何でそんな甘っちょろい気持ちでやってんだよ。お前らも、日本代表だろうが」
「永野さんはとにかく怖かった」
練習中の永野はまさしく“鬼”そのもの。一本のパス、一本のジャンプ、すべてに妥協を許さなかった。練習だからとフルジャンプをせずに打つ選手がいれば、6対6のゲーム形式の練習を途中で止めて声を張り上げた。
「本気でやれよ。そんな適当なジャンプで、試合になったら跳ぶのか? それでセッターとトスが合わなくてトスのせいにするのか? お前が今、この練習を本気でやらなければそれが全部、試合で出るんだよ」
高橋や山内が「あの頃の永野さんはとにかく怖かった」と何度も回顧するほど永野の姿は鬼気迫るものだった。
「もちろん言葉にしていたのは全部本心ですよ。でもどっかで、誰かがこういう役を引き受けなきゃならないと思っていたし、それが自分の役目だ、と。コートの中でも怖かったと思いますし、コートを離れても今の代表の奴らみたいに仲良くしゃべるわけじゃない。むしろ『俺にしゃべりかけてくるんじゃねーぞ』っていう圧やオーラを出していたかもしれませんね(笑)」
演じていたのかもしれない――そう振り返る日々は、永野にとっても、しんどくて苦しかった時間だったと記憶されている。でも、なぜそこまでできたのか。
「勝ちたかったんですよ。とにかくあの頃は、弱かったですから」



