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柳田将洋と石川祐希に「ふざけんな」男子バレー世代交代に揺れた“職人アタッカー”が涙を流して声を荒げた瞬間…記者から飛んだ残酷な質問
posted2025/09/22 11:03
2015年ワールドカップ、当時19歳の石川祐希をフォローする米山裕太
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Koki Nagahama/Getty Images
◇◇◇
2016年5月28日、リオ五輪世界最終予選の初戦。バレーボール男子日本代表は世界ランキングで下回るベネズエラを相手に第1セットを許してしまう。
日本代表の中で“鬼”と恐れられたリベロ永野健が声をあげても、悪い流れをなかなか断ち切ることはできない。
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そんな戦況を忸怩たる思いでベンチから見つめる選手がいた。若手を鼓舞し続けた永野が「あの人がいたから自分もやれた」と信頼を置いていたアウトサイドヒッターの米山裕太だ。
第2セットに向けてドリンクやタオルを抱えながらコートサイドを移動する米山は苛立ちを隠しきれずにいた。
「やる気あんのか。この試合で負けたら終わりだけど大丈夫かよって思いましたね。外から見ていると完全に相手のペースで、負ける雰囲気だったので。柳田(将洋)と石川(祐希)に対して『ふざけんな』と思ったのは後にも先にも、その時だけでした」
40歳まで現役、“職人”アタッカー
2009年に日本代表に初選出。抜群の守備力に加えて、劣勢から立て直す勝負強さと安定感を武器にアウトサイドヒッターとして活躍した。東レアローズ一筋で40歳まで現役を続け、今年5月に引退している。
身長185センチは、世界ではもちろん日本でも“小兵”の部類に属する。サイズの差を埋める技術を追求し、常に最高の自分を発揮し続けることだけを求めてきた。自分の武器や特徴を誰よりも理解して勝負する米山は「職人」や「仕事人」と呼ばれることも多かったが、それはプラスのことばかりではなかったと笑う。
「周りには『調子いいね』と言われても自分の理想には程遠いから満足できない。よく言えば繊細なんですけど、悪く言えば神経質なので、どんどん感覚を研ぎ澄まして、いや違う、もっとこうしよう、と追い求めてきたんです。でも理想が高くなればなるほど簡単じゃないから結局、自分の首を絞めるタイプでした」
そんな米山が同じアウトサイドヒッターとしてポジションを争ったのが柳田と石川だった。


