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「本気でやれよ。お前らも、日本代表だろうが」石川祐希らを叱り続けた“鬼のリベロ”「永野さんはとにかく怖かった」男子バレー低迷期の葛藤
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph bySankei Shimbun
posted2025/09/22 11:02
2016年、2大会連続でオリンピック出場権を逃したバレーボール男子日本代表。リベロの永野健(手前)は厳しい表情で戦況を見つめる
今や高校生や大学生が海外リーグでプレーするケースも珍しいことではなくなった。だが永野が日本代表をけん引した当時は、海外選手と対峙できるのは国際試合だけ。海外遠征の機会も限られていた。
南部の就任後、大学生の石川がイタリアへ渡るなど少しずつ男子バレーの環境は変わりつつあったが「分岐点があったら、間違いなくあの頃だった」と永野も言うように、当時は強化のスタート地点とも言えた。
状況を打破するためには、とにかく試合で勝つしかない。練習に全ての力と情熱を注ぎ、後輩にどれだけ煙たがられても叱咤する。「これだけやったんだから」と思えるまで自分とチームを追い込む。そして、試合になればリベロとして後ろから背中を押すことに努めた。
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「試合で100%を出すために練習する。だから、練習の時に厳しいのは当然なんです。その代わり、試合ではプレッシャーなんてかけないですよ。むしろうまくいかない時に『どうした、目覚ませ。練習でできているから、大丈夫だよ、できるから』って言い続けて、頑張らせるだけ。正解はわからないですけど、僕にはそうすることしかできなかったです」
永野の厳しい姿勢は少しずつチームを変化させる。
2014年10月のアジア競技大会では決勝でイランに敗れたもの、銀メダルを獲得。そして、翌2015年ワールドカップで復活の火が灯った。攻撃の柱である清水邦広や石川、柳田といった若いエースたちが高いトスを伸びやかに打つ。見ていて楽しい男子バレーは日に日に人気を博し、永野も「いいメンタリティで、いいパフォーマンスができた」と振り返った大会では6位という好成績も残した。
北京以来2大会ぶりとなる五輪出場も、もはや夢ではない。ただ、まだ見ぬ五輪を懸けた戦いがどれほど厳しいものか、永野にはロンドン大会の出場権を失った苦い記憶がこびりついていた。

