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PL学園を「ナメきってました」甲子園連覇の王者・池田高が初めて負けた日…水野雄仁が桑田真澄に打たれ「あんな打球は見たことがない」
posted2025/08/28 11:05
まさかの敗戦を喫し、うつろな表情でPL学園の校歌を聞く水野雄仁ら
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
早実・荒木大輔を打ち崩して頂点へ駆け上がった1年後、思いもよらぬ敗北を喫した池田高校。甲子園から「消えて」久しい名門の栄光と蹉跌を、当時のエースと主将が振り返った——。Sports Graphic Number 785号(2011年8月18日発売)『池田高校 怪童たちが見た天国と地獄』を特別に無料公開します。〈全2回の2回目/1回目から読む〉※表記などはすべて初出時のまま
翌83年春の連続優勝で人気が頂点に達した中、いよいよ史上初の3連覇をかけて水野と江上は高校生活最後の夏に臨む。順当に勝ち上がって準決勝を迎えたとき、主将の江上がクジを引いた対戦相手はPL学園。
「おまえ、初めていいクジひいたな!」
そう叫んだ水野に、江上も胸を張った。
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その前の準々決勝では、「本当にクジ運が悪い」と水野に言われていた。江上が引いた相手は中京で、3-1で制した試合は「事実上の決勝戦」とまで報じられた激戦だった。
PLなど眼中になかった
ベスト4の中で警戒していたのは横浜商業と久留米商業である。桑田真澄、清原和博のKKコンビが無名の1年生だったPLなど、眼中になかったのだ。江上が言う。
「当時、桑田は15歳と4カ月。こいつ、中3のくせに甲子園まで来やがってと、みんなで話してたな。まあ、ナメきってましたね」
その桑田はのちに巨人入りして、奇しくも水野の後輩になる。水野は桑田から、「あのときはPLも負けを覚悟してました」と打ち明けられた。監督の中村順司が選手たちに、「試合に負けても、池田は別格だったとか、新聞記者に言ったりするな。同じ高校生なんだから」と言い聞かせていたというのだ。
だが、水野はPL戦の前、どこかいつもと違う雰囲気も感じていた。一つはこの年の夏が異常と思えるほど暑かったこと。もう一つは、3回戦の広商戦で頭へ死球を受けたことである。この試合の後半、朦朧として、記憶が飛んでしまったほどの衝撃だった。

