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「おれが荒木(大輔)さんを打つ!」“池田高と水野雄仁の時代”とは何だったのか…甲子園連覇の栄光と蹉跌「だって、一度も負けたことなかったから」

posted2025/08/28 11:04

 
「おれが荒木(大輔)さんを打つ!」“池田高と水野雄仁の時代”とは何だったのか…甲子園連覇の栄光と蹉跌「だって、一度も負けたことなかったから」<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

「阿波の金太郎」と称された池田高のエースで主砲・水野雄仁。82年夏の甲子園で

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赤坂英一

赤坂英一Eiichi Akasaka

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Katsuro Okazawa/AFLO

早実・荒木大輔を打ち崩して頂点へ駆け上がった1年後、思いもよらぬ敗北を喫した池田高校。甲子園から「消えて」久しい名門の栄光と蹉跌を、当時のエースと主将が振り返った——。Sports Graphic Number 785号(2011年8月18日発売)『池田高校 怪童たちが見た天国と地獄』を特別に無料公開します。〈全2回の1回目/2回目につづく〉※表記などはすべて初出時のまま

 これから、おれたちはどこへ行けばいいのか。水野雄仁にはわからなかった。

 1983年8月20日、池田高校は甲子園の準決勝でPL学園に負けた。それは、82年夏、83年春と連続優勝、この夏に史上初の3連覇を目指していた水野たち3年生にとって、甲子園16試合目にして初めての敗戦だった。

 ホームベースを挟んで整列し、PL学園の選手たちに頭を下げる。その直後、エースで4番の水野は、一瞬、途方に暮れた。

それまで一度も負けたことがなかったから

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「だって、それまで、甲子園で一度も負けたことがなかったから。あれ? この先、どうするんだっけって、呆然としちゃったんだ」

 主将の江上光治は、試合終了を告げるサイレンの音も覚えていない。「鳴ってたんかなあ。ちょっとオロオロしてましたんで」と首をひねり、遠い目をして振り返る。

「いつもならホームベースの後ろに並んで、スコアボードの校旗掲揚を見ながら、みんなで校歌斉唱するでしょう。キャプテンのぼくが立つところも、一塁ベース寄りの端っこに決まってたんです。そこにPLの選手がいるのを見て、あっ、もうおれの行く場所は違うんだって思いました」

 視界の隅で、部長の白川進が何度も手招きしている。江上や水野たちは呼ばれるままに三塁側ベンチの前へ歩いて行き、初めて相手の校歌を聞いた。その後、この夏を含めて、5大会連続で流されるPL学園の校歌を。

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