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父は名将・馬淵史郎、拓殖大監督・馬淵烈33歳が感謝する“師匠”からの教え「親父からは『とにかく勝て』と」「高嶋仁さんからは…」
posted2022/12/23 11:01
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph by
Hideki Sugiyama
2015年。社会人野球のシティライト岡山で4年目のシーズンを終えた馬淵烈さんは、拓殖大学の内田俊雄監督から、母校のコーチ就任を打診された。
「内田監督から『どうや』ってお声がけされて、考えようかなと。親父(史郎さん)には『コーチをやるんやったら、内田監督を立てないといけないぞ』と言われました」
内田監督「人間的成長なくして技術の発展はない」
拓殖大学は馬淵さんが卒業後の2013年春に2部で優勝、専修大学との入れ替え戦も2勝1敗で制し、創部93年目にして悲願だった1部初昇格を叶える。同年秋には最高成績となる3位に輝いたが、2015年春に最下位となり、再び2部へ降格するなど、チームの立て直しが急務の時だった。
馬淵さんは尊敬する恩師を支えることを決断。現役を引退し、岡山から再び上京した。
こうして同年12月、拓殖大学野球部のコーチとして4年ぶりに母校のユニホームに袖を通すことになる。
指導者になってみると、内田監督の存在感をあらためて感じた。
「内田監督は『人間的成長なくして技術の発展はない』ということをよくおっしゃっていました。朝のミーティングにふらっと来られて話をするんですけど、この話は『かなわんな』っていうのが何回もあります。あ、やっぱり監督はこういうことを大事にされてチームをまとめていくんだ、とかね」
馬淵史郎「勝つことで周りからも認めてもらえる」
コーチとして4年間、内田監督の側でみっちりと帝王学を学んだ。再び転機が訪れたのは、2019年秋。2部で優勝も、駒沢大学との入れ替え戦に連敗し、残留が決定。勇退する内田監督の後任として、創部100年という節目の年に、拓殖大学の監督に就任した。
「あのタイミングで大学の監督をやるというのは考えてもいませんでした。2部で優勝しているんですよ。駒沢さんに入れ替え戦で負けたけど、そこで辞めますかって(笑)」
監督の先輩でもある父親からは、ある言葉を授かった。