甲子園の風BACK NUMBER
「横浜はあの時の大阪桐蔭みたいだと」“左手ハンディの巧打”だけでない努力の超美技…県岐阜商・横山温大は吉田輝星に憧れた甲子園ヒーロー
text by

間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama
posted2025/08/20 17:02
県岐阜商の横山温大。左手ハンディだけでない野球人としての魅力で、甲子園ヒーローへと駆け上がりつつある
2018年夏に地方の公立高校でありながら、私立の強豪に挑む吉田輝星投手擁する金足農をテレビで見て引き込まれた。
「自分も、あの舞台に立ちたい」
厳しいチーム内競争を覚悟の上、県岐阜商への進学を決めた。生まれつき左手の指がないハンディは、周りの何倍もの努力が必要だと分かっていた。それでも、勝負する道を選んだ。
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入学後すぐに試練が訪れる。投手として野球部に入った横山は、周りの選手との埋めがたいほどの力の差を痛感した。練習にすら参加できない。役割はノックのボール渡しや打撃練習の球拾いなど、メンバーの補助が中心だった。
「上級生になったら絶対にグラウンドに立つという気持ちで、自主練習しました。苦労や悔しさがあったから、ここまで頑張れたと思っています」
野手転向…周りの選手とは違う自分のチャレンジ
入学から半年経った1年生の秋、横山は大きな決断をする。野手への転向だった。投手から野手に替わるのは、どんな選手でも難しい。しかも、左手で捕球も送球もできない横山は、右手にはめたグラブで打球を収めて、瞬時にグラブを左脇にはさんで右手でボールをグラブから抜き取って投げる必要がある。
不慣れな動きに苦戦する。1日1時間以上、捕球から握り替えだけの練習を繰り返した日もあった。手本としたのは、大リーグで活躍したジム・アボット投手。先天性の障害で右手首から先がなかったアボットは、左手だけで巧みにグラブを持ち替えて投球、捕球、送球を完璧にこなした。
最初はぎこちなかった動きは反復練習で精度が上がっていく。3カ月ほど毎日続けていると、「不安はない」と思えるくらいスムーズな握り替えを習得した。
「この学校に入学したのは、周りの選手とは違う自分がどこまでできるのか、チャレンジする思いがありました。野手への転向もチャレンジでした。野球をあきらめていませんでしたから」
横山は2年秋から出場機会を得ると、3年夏は不動のレギュラーに定着した。岐阜大会では6試合で19打数10安打、打率.526をマーク。チームの甲子園出場に大きく貢献し、憧れの舞台に立った。そして、聖地では初戦から全4試合で安打を放ち、準々決勝では延長11回タイブレークの末に横浜を撃破する原動力となった。
「横浜が勝つと予想していた人は多いと思います。それを覆そうと、みんなで話していました。まだ、あまり勝利の実感はありませんが、王者を倒せたのは大きなことだと感じています」
横浜は、あの頃の大阪桐蔭みたいだと
横山は2018年に春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭と、今年の横浜を重ね合わせていた。


