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「俺がやってることできる選手が他にいる?」32歳遠藤航がリバプールで得た“特別待遇”「上司ガチャ」を好転させるスキルと生き方〈プレミア開幕〉 

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小野晋太郎

小野晋太郎Shintaro Ono

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2025/08/15 11:02

「俺がやってることできる選手が他にいる?」32歳遠藤航がリバプールで得た“特別待遇”「上司ガチャ」を好転させるスキルと生き方〈プレミア開幕〉<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

リバプールで着実に信頼を積み上げる遠藤航(32歳)。旧知のテレビディレクターに本音を明かした

 2018年のロシアワールドカップでは、そのユーティリティ性でメンバー入りを果たしている。だが、出場時間はゼロだった。この頃の遠藤はどこでも守れる代わりに、絶対に使いたい選手ではなくなっていた。いうならば日本という小さな会社のジェネラリストであったが、世界の舞台で任せられるスペシャリストの信頼はまだ無かったのだ。

 だからこそ自問自答の末、遠藤は専門職を作り上げる。一番通用する自信もあった「ボランチ」を主戦場とするため、25歳で海外への移籍を決断。最初はベルギー、そしてドイツ2部、さらにドイツの1部で少しずつステップアップを繰り返し、遠藤は押しも押されもせぬ「アンカー」として名を揚げた。

 30歳を前にデュエル王の称号を手にしたころ、世界最強クラブから守備的「ボランチ」専任でオファーが届く。それこそが目標とした世界的なスペシャリストになった証明でもあった。

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 目標であった『スペシャリスト』として迎えた世界最高の舞台。ここで逆に、遠藤を救ったのが『ジェネラリストとしての才』だった。

「ワタ、右サイドバックできるか?」

 優勝がかかったトッテナム戦の直前、スロットは遠藤に声をかけている。

「出来ますよ」

 もちろん遠藤はこう返すが、実際に練習はほとんどしていない。それでもリバプールが「右サイドバック」として投入したのは遠藤だった。だが周囲はもちろん、遠藤も気に掛けた様子はない。当然のようにファーストプレーで対面する相手ウイングを執拗に追いかけ、いつもの様にボールを奪い取った。

 大舞台でいきなり初めて新たなポジションを任される。実は遠藤が一番最初にA代表でデビューを果たしたのも、今回と同じ、守ったことのない右サイドバックだった。

「右サイドバック……縁を感じますよね。ただ、監督からしたら俺は便利すぎでしょって(笑)。でも俺もボランチとしても出来る自信があるから、前とは心持ちが全然違う。チームの為に何ができるかってことだけ考えてるんで……。俺はもう、ポジションはどこでもいいんですよ」

 どんな「監督ガチャ」や「組織のポジション」も、最後は自分の力でもぎ取っていく。キャリアの最後に身をすくったのは、若手のときに悩んでいた「器用貧乏」だったはずのそのスキル。自分の専門性を勝ち取ることで、リバプールのような世界最高峰の舞台でたどり着いた新たな武器が、唯一無二の『ジェネラリストのスペシャリスト』だった。

なぜリバプールからの移籍を考えない?

 一つの目標が達成された新シーズンへ。「移籍」を選択肢に入れてもおかしくはないはずだ。だが、先述の残されている目標がまだある。

「W杯優勝って目標もあるんで。リバプールが好きですし、ここで得られる体験以上のことが他のチームにあるとは思えないんですよね。日本代表からみても俺がここにいるってことが意味があると思う。前ここにいたミルナーもそうでしたけど、俺がやってることができる選手が他にいるか?って自信もあるんで」

【次ページ】 “鉄人”の後継者に指名された理由

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