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高校野球“消えた名門公立校”沖縄水産のナゾを追う「飲酒、喫煙は当たり前」超ヤンキー高校がなぜ甲子園の常連に?「賛否両論の名将」栽弘義の正体

posted2025/08/06 11:04

 
高校野球“消えた名門公立校”沖縄水産のナゾを追う「飲酒、喫煙は当たり前」超ヤンキー高校がなぜ甲子園の常連に?「賛否両論の名将」栽弘義の正体<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

沖縄水産を全国レベルの強豪校へと引き上げた名将・栽弘義。だが栽亡きあと、同校は甲子園の土を踏めずにいる

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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Sankei Shimbun

かつて高校野球界で輝きを放った名門・沖縄水産が苦しんでいる。1998年の夏を最後に27年間、甲子園出場なし。春・夏合わせて甲子園出場12回、準優勝2回を誇る強豪は、なぜ弱体化してしまったのか。「飲酒、喫煙は当たり前のヤンキー高校」――黎明期から全盛期にかけての知られざる実態と、名将・栽弘義の謎を沖縄現地で追った。(全5回の1回目/#2#3#4#5へ)

全国レベルの強豪校がなぜ…勝てなくなった沖縄水産

 あの簡潔なロゴが甲子園のグラウンドを駆け回っていたのが、やけに懐かしく感じる。

 白地に漢字二文字の「沖水」――このユニフォームが沖縄県内の野球少年たちにとって眩しく見えたのは、四半世紀前までだろうか。

 沖縄県立沖縄水産高等学校は、春3回、夏9回の甲子園出場歴を誇る強豪校だった。1984年から88年までは5年連続で夏の甲子園に出場し、90年夏、91年夏は2年連続で準優勝。上原晃(元中日)、平良幸一(元西武)、大野倫(元巨人)、新垣渚(元ソフトバンク)など幾多のプロ野球選手を輩出し「沖縄高校野球界に沖水あり」と謳われてきたが、98年夏の甲子園に出場して以降、27年もの間、聖地から遠ざかっている。

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 夏の県大会にかぎれば2010年に準決勝で糸満に0対9で敗れて以来、15年もベスト8に残れずにいる。かつて沖縄県の王者として君臨し、全国レベルの強豪校として名を轟かせていた沖縄水産が、どうしてここまで弱体化してしまったのか。

「自らの手でグラウンドを作った男」栽弘義とは何者か

 沖縄水産を全国有数の強豪校にしたのは、紛れもなく名将・栽弘義の手腕である。高校野球ファンの多くが、沖縄水産=栽監督と認識していると言っても過言ではないだろう。同校の基盤を作り上げ、常勝軍団にしてきた功績は今も燦然と輝く。

 前任地の豊見城高校では6季連続を含む7度甲子園に出場し、4度のベスト8(75年春、76年夏、77年夏、78年夏)入り。県内で名将の地位を築き上げた栽が、沖縄水産に転任したのは80年の春だった。

 栽が沖縄水産に移った理由は二つあった。

【次ページ】 「飲酒、喫煙は当たり前」誰もが恐れたヤンキー校の実態

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