甲子園の風BACK NUMBER
大阪桐蔭からも誘いがあった山田陽翔に「近江に来いや」 絶対的エースと誓った“甲子園V”「滋賀は近畿で唯一、日本一になっていない」
posted2022/08/07 06:02
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
Sankei Shimbun
「本当に何でもできる選手なんやな……」
昨夏の甲子園では背番号4を背負い、2年生ながら二塁手のレギュラーを務めていた近江高校の津田基(もとき)を見て、ふとそう思ったことがあった。
50mの計測タイムは5秒8。軽快なグラブさばきと身のこなしの軽さは、今年の高校3年生の世代を代表する内野手と言っていい。
本職は遊撃手。現在は2年生の横田悟がショートを守っていることもあり、今季も正二塁手を務めるが、その守備力の高さと1番打者としての出塁率の高さは目を引く。
昨秋の近畿大会では、背番号は「4」ながらセンターを守った。内野手の中心として期待されていた津田にしてみれば「複雑な気持ちでした」と本音を明かしていたが、逆に言えば、内外野の守備をソツなくこなすユーティリティぶりも津田の特徴と言える。
甲子園出場を決めた夏の滋賀大会でも、その能力は遺憾なく発揮された。
準々決勝の伊吹戦で初回に四球で出塁すると、犠打で二塁に進んだ際に相手のスキを見て一気に三塁を陥れた。積極性の高い走塁にはNPBスカウトの評価も高く、「今年の高校生の中では攻守のまとまりの良さはトップクラス」とドラフト候補として推す声も聞く。
山田とは中学時代からのチームメイト
近江の投打の要といえば、センバツでの記憶が新しい“最速149キロ右腕”山田陽翔(はると)だ。主将を務める大黒柱の傍らで、津田は副将としてチームを支えている。
実は、山田と津田は中学時代から「大津瀬田レイカーズ」で共にプレーするチームメイトでもあった。中学時代からスター街道を歩む山田の一方で、津田には“空白の1年間”がある。
「中1の冬に右手を骨折して、腰の骨を右手に移植する手術をしたんです。その手術の影響で1年間野球ができませんでした」