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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
前田健太〈ヤンキースとマイナー契約〉決断までの舞台裏「自分自身に不安を抱いている」苦しんだメジャー10年目「落とし穴になった“ある球種”」
text by

山田結軌Yuki Yamada
photograph byYuki Yamada
posted2025/08/06 12:00
新天地に挑む前田健太の思いとは…
修正の出発点が「横ぶり」にあると判明してからは、体を逆方向の「縦ぶり」に矯正した。投げる意識を上から下へ「縦に、縦に」。キャッチボールから右手を上に掲げるなど「縦ぶり」の予備動作を繰り返し、投球を重ねていた。
前田は日本時代も渡米後もイニング間に行う5球の投球練習で2球目に必ずカーブを投げる。それは、体を縦に使う意識をするから。シーズン前、キャンプ中のブルペンでも他の変化球を投げるよりもまず、カーブから投げる。「縦ぶり」の体にするためだ。
“伝家の宝刀”スライダー再生へ
それは、前田がNPB時代に“伝家の宝刀”としていたスライダーの再生と同時進行する。
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「僕は(力を発揮できる体の使い方が)縦っていうか斜めなんですよね。それで僕のスライダーはジャイロ回転のジャイロスライダーなんです」
横曲がりの大きいスイーパーを“封印”し、縦に近い斜めに落ちるように曲がるジャイロスライダーを取り戻す。フォーシームの球威復活と同時に本来のマエケンに戻るための重要な意識改革が必要だった。
“迷走”の始まりはリリーフ調整
そもそも迷走が始まったのは3月中旬だった。オープン戦期間に胃腸の不調から体調を崩した。さらにメジャー10年目で初めて、リリーフとして開幕を迎えたことで練習方法も変化。「今夜の試合で投げるかもしれない」という調整方法において、遠投や強く投げる球数も首脳陣の指示で制限された。試合への余力を残しておくためだ。
投げながら、感覚を磨く練習ができなかった。リリーフでマウンドに上がり、1イニングでマックスの力を発揮する、という意識は力みも生んだ。それは、本来の姿からどんどん遠ざかる要素ばかりだった。
転機はマイナーで4度目の先発となった6月4日、ネブラスカ州でのオマハ戦で訪れた。15年間の記憶が蘇った。21歳のマエケンが、スターピッチャーになるきっかけとなったあの感覚だった。マエケンが「ゼロヒャク」と表現していたその感覚とは、どんなものだったのかーー。〈つづく〉


